
2001年のカンヌのグランプリ、主演男優、主演女優賞の三冠を達成した映画。こう聞くとどんな名作かと思う。だが監督は
「ファニー・ゲーム」、
「隠された記憶」のミヒャエル・ハネケ。一筋縄で行く映画では到底ない。
年の離れたピアニストの純愛映画、なんて勘違いして観たカップルは、恐らく最後までの鑑賞に堪えないだろう。これは「ファニー・ゲーム」に匹敵するほどに痛々しく、辛い映画だ。それっぽいコピーでラブストーリーと謳っていることで、さらに危険度を増している。
相当な程度の覚悟を持って望んだとしても、鑑賞後沈鬱な気持ちになることは避けられない。
国立音大で教授を務めるほどのピアニストである彼女が持つ、屈折したもの。
それを単なる性癖と呼ぶことなど出来るだろうか?
鑑賞者が与えられる情報は相変わらず少ない。
彼女は普通に見れば40代だ。若く見ても30代後半。それなのに、親とのこの関係はなんだろう。干渉、束縛。
だが生理が来なくなるような年ではないはずだ(多分恐らく)。だとしたら、バスタブで行った行為は、過ぎてしまった女性の自分を取り戻そうとしたのではなく、彼女にはそれが訪れたことが未だないのではないか、僕はそう感じた。
いずれにせよ、普通の精神状態で為す行為ではない。それだけ彼女はなにかに追い込まれ、取り憑かれているのだ。
彼女は確かに求めていた。それは長い時間をかけて少しづつ鬱積した羨望であり、様々な心境が作用した屈折した欲望ではあったが、彼女は真摯に、心の底から、それを願っていたのだ。
だが気付いてしまう。それは間違いだったと。
そして、求めていたものをなにひとつ受け入れられない自分自身に、絶望したのだろう。
性、とは、大人と子供を隔てる一つの要素であり、親子の距離において、その重要性は増す。親子が離れられないからこそ彼女の性は屈折し、性が発達しないからこそ、親子がいつまでも離れられない。きっとそのことを彼女はよく理解していたのだろう。
だからこそラストカットは、彼女が始めて開放された瞬間だったように思う。
よくよく咀嚼すれば、ある女性の悲しい物語と捉えることが出来るが、自分にはいかんせん痛すぎました。刃物は苦手です。
そして男としての立場からすれば、相手役のブノワ・マジメル同様、彼女への腹立たしさが先行してしまいました。(されたことないけど)あの寸止めは確かに拷問。その苦悶の表情を恥ずかしげもなく演じたことが、彼を主演賞へと導いたのかもしれません。
カンヌのグランプリとは実は審査員特別賞である辺り、確かに評論家等には受けがいいのかもしれないけれど、間違いなく僕ら一般人が他人に薦めることは出来ない。
ハネケ監督作品特有の、難解で痛々しくて不親切。プラスこの映画は下品でエロ。でも、長まわしのワンカットが抽出する独特の美、空気感はやっぱり好きです。
(2001年/フランス・オーストリア/ミヒャエル・ハネケ監督)