たいようの映画の感想

映画を観て感動しても、少し時間が経てば結構忘れてしまうんです。そんな忘れんぼうな自分のための記録なんです。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

明日、君がいない (アミューズCQN)

2-37-poster.jpg

 学校という名の地獄。
 僕たちが抱える苦悩。
 誰かが死ぬと言う事。

 1984年という僕と同じ年に生まれたオーストラリア出身の監督が、19歳という驚異的な若さで映画作りのノウハウも持たぬままに、たった36時間で脚本を書き上げ、制作に入った作品。
 素人とは思えぬ完成度の高さと、脚本の練られ方、そして着地点。
 その原点には、親友をなくした悲しみや無力感、その償いという固い意思があったのだそうだ。
 そしてその親友が亡くなった時刻、2:37が、この映画の原題にもなっている。 

 影響を受けた人として、彼はガス・ヴァン・サント監督を上げている。その言葉通り、観た人なら誰だって気付くであろうほどに、この映画は「エレファント」に構成が酷似している。
 だが皮肉にも、「エレファント」以上の作品になってしまっていると僕は感じた。
「エレファント」では、あの事件の犯人を、他の多くの者たちと変らぬ青年として取り上げ、そんな彼らが狂気に及ぶ様を淡々とみせた。そこで浮かびあがったのは、「なぜ彼らが?」という疑問の投げかけであった。
 しかしこの映画では、登場人物たちそれぞれの独白を交えることにより、それぞれの悲しみや抱えていた苦しみが、痛々しいほど伝わってくる作りになっている。
 そして、この構成こそが、この映画が成功した最大の鍵だったのだろう。

 ここまで心が揺さぶられるような映画を観たのはいつ以来だろう?
「アメリカン・ヒストリーX」「ホテル・ルワンダ」も同じような衝撃を受けたが、題材が身近だったこともあってか、僕の中ではそれらを遥かに凌いでしまった感がある。
 心の隙間の、油断して完全に無防備になっていたようなところに、鋭いものをすっと突き刺されたような、静かで圧倒的な映画だった。
 僕はこの手のジャンルでこの映画以上のものを今のところ知らないし、今後これ以上の作品に出会う気も、今は全くしない。

「誰が自殺するのか」という謎を掲示することにより持続させた緊張感が消える瞬間の、脱力感と無力感は、本当に言葉を失うほどだったと思う。
「誰が死ぬのか」なんて詮索しながら見ていた自分自身を恥じ、まさに打ちのめされたような気分だった。
 絶望に満ちた映画であり、救いの手は一切差し伸べられないが、有無を言わさず観たほうがいい、と人に勧められる久し振りの映画だった。
 だが間違いなく、鑑賞後は酷い気分になるだろう。
 それは恐らく監督が味わったのと同じ、"友人が突然自殺した時"の気持ちに近いかもしれない。


 人は誰だって苦しみを抱えてる。
 人に言えない悩みを持っている。
 その通り。でもそんなの聞き飽きた。
 それに、だからって、全ての人が自殺をするわけじゃない。
 
 僕があの中の誰かだったら、自殺したあの人を救えただろうか? と考える。
 まず間違いなく、救えなかっただろう。

 偶然隣に座った誰か、
 毎日顔を合わす誰か、
 とても仲のよい誰か、

 そんな誰かのことを、きっと僕らは、これっぽっちも分かってはいないんだ。
 そしてこれからも、そんな誰かのことを知った顔して、
 本当は何も知らないままに、
 本当は見向きもしないままに、
 僕らは生きていくんだろう。
 

(2006年/オーストラリア/ムラーリ・K・タルリ監督)

| 映画 ☆☆☆☆☆ | 23:51 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

≫ EDIT

夢の中へ (DVD)

4571153230485.jpg

 これはすごい。

 僕が今までに観た中で「この映画は大好きだ」と言えるものは、美的感覚がぴたりと合ったものか、社会派的テーマと人間ドラマを鋭く描いたものが多い。故に前者は「STEY/ステイ」「トニー滝谷」 がそうだし、後者は「アメリカン・ヒストリーX」 などがそうだ。また青春時代を描いたもので、静かで淡々としていて雰囲気で語るようなものを好む傾向にある。邦画のほうが感覚的にも視覚的にも見やすくて好きだ。


 そう前置きをしておき、さて、この映画。
「自殺サークル」で物議を醸した園子温監督作品。だが最新作である「紀子の食卓」をはじめとし、監督作の殆どが海外で賞賛を浴びているという、あまり知られていない凄い人。
 この人は学生時代から詩に興味があり、書いては雑誌に投稿し「ユリイカ」などの有名誌に何度も掲載されていたそうだ。
 だが現在でも「映像詩人」との異名をとるのは、そんな過去の経緯があったからだけではない。彼の創る映画が、所謂普通の映画とは明らかに一線を画しているからだろう(園子温監督の他の作品は観たことがないが、少なくともこの映画は)。

 支離滅裂も甚だしく、洗練などとは程遠い。
 理解や共感を得ようなどという心意気は一切ない。
 静謐などひと欠片もなく、むしろ喧騒の最果てのような映画。
 滅茶苦茶だ。本当に滅茶苦茶。

 なのに、とてつもなくいい。
 いや、正確には面白いというべきか。
 まぁ、いずれにせよ、いい。

 これはもう、良いとか悪いとかではなく、この映画を受け入れられるか受け入れられないかだけの問題かもしれない。受け入れられる人にはそれが全てだし、受け入れられない人もそれが全てだ。

 序盤から役者陣の阿呆みたいな芝居(だがとても生き生きとしている)とローカルな雰囲気と質の悪い手持ちカメラの映像が妙に心地よかった。
 この手の映画であれば、当然オダギリジョーも村上淳も生きてくる。もう抜群だ。この二人はやはりこういう映画がよく似合う。繰り返すが、この二人はもう抜群だ。
 アート作品にありがちな、ただ難解でストーリーのないような内省的カオス映画に傾き過ぎることもなく、これでもかと言うほどに語りたいことを、見せたいものをぶつけてくる感覚もあった。

 表現とはこういうものなのかもしれない。
 監督の、さらには役者陣の表現欲の塊、そんな映画だった。
 まさに、爆発。それも見事な美しさで。ボーンッ。 

 
 欲を言うならば、もう15分くらい短くてもよかったかもしれない。殆ど飽きることなくとても楽しんで観れたが、この支離滅裂具合の100分は少し長く感じてしまった。

 そもそも行きすぎたアート作品や異色映画はあまり好まず、この監督もきっと肌に合わないだろうと思い長い間避けてきたのだが、いやぁ、驚いた。


【俺はいつから俺じゃないのか。
 そんなことは関係ない
 20代の頃無数にいた俺からチョイスした今の状態は
 俺が選択したのではない。
 金星人のせいだ!!
 ―――本編劇中劇より】



(2005年/日本/園子温監督)

| 映画 ☆☆☆☆☆ | 04:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

リリイ・ シュシュのすべて (DVD)

big.jpg


 境界線。

 自由と制約、罪と潔白、生と死。
 一枚の薄いカーテンのようであり、それでいて対岸の見えない川のように大きな隔たり。
 そこを踏み越えてしまった者と留まったもの。
 だがその両者にも大きな違いはなにもない。
 そんな14歳。


 最初にこの映画を観たのは確か高校生の時。
「すげーいい映画だな」なんて思ったことを憶えている。
 高校生の僕はこの映画のどこにそんなことを感じたんだろう? と今になってみるととてつもなく不思議だ。本当に内容を理解していたのかどうか怪しいものだ。
 今日この映画を改めて観てみて、こう思った。
 いや、今だって内容を理解できているかどうかなんて分からないし、こういう表現が果たして正しいのかどうかも分からないのだけれど、やっぱりこう思った。
「いい映画だな」って。
 
 これが14歳のりアルだ。
 なんて言われると、荒んでいて不安定なだけが全てではないだろう、と反論もしたくなる。
 だけど、荒んでいて不安定で不安定で不安定。
 それが14歳と言われれば、そうかもしれないとも思ってしまう。

 だからそこに境界線はない。
 あるとすれば、足元に引かれた薄い線くらいなもの。
 気が付いた時にはその線を超え、後戻り出来ないほどに進んでしまった。
 それが青猫。
 踏みとどまって、踏みとどまって、それでも踏み超えてしまい、境界線の上でもがき苦しむ。
 それがフィリア。

 伝わる感情の鋭さに、観ているのが辛くなる。
 だが眼を反らせない。
 それは、これが自分も通って来た道、あるいは通るかもしれなかった道だからかもしれない。

 青春の痛みと悩みと葛藤と罪を、生々しく鮮烈に描き出したこの監督は、やっぱり凄いんだと思う。
 岩井俊二作品は今の所、自分の中では外れなしなんです。
 映像の綺麗だけでも秀でているけれど、それがこんなにも悲しく、切なく、痛々しく感じさせる作家は他にはないと思う。

「16歳の合衆国」然り、「害虫」然り、この年代をテーマにした映画はどうやら好物らしく、鑑賞後は堪らなく感慨深くなってしまいます。
 説明がつかない、とか、分かりづらい、とか、そういう風に思う人は勿論いるのだろうけど、僕自身としては、それこそが成長の過程に現れる現象だと思うのです。
 不安定、焦燥、不安定。
 自分でも理解しきれていないことを、他人が理解しようなんてそもそも無理がある。
 だからそれを映像にしようとした時、これらの作品のように概して「分かりづらい」と評されるものになるのは致し方ない、というかむしろ必然なのではないかと思っています。
 あとはそれを感じられるかどうか。
 
 22歳になった今、高校生の頃と同じように、この映画に 感じる ことができる感性がまだあったことに安堵した僕です。

【うす暗い部屋の中で、いつもひざをかかえていた。
 想い出すのはそのことだけ。
 テレビも観ずに、音楽も聴かずに。
               ―――リリイ シュシュ】



(2001年/日本/岩井俊二監督)

| 映画 ☆☆☆☆☆ | 02:55 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT