2006.01.23 Mon
あおげば尊し (K's cinema)

トニー滝谷の市川準監督作品。主演は映画初主演のテリー伊藤。重松清の同名短編小説の映画化。
末期癌で余命幾ばくかの元教師である父。それを介護するテリー伊藤扮する現役小学校教師。死に漠然とした興味を持つ生徒。
【命ってなんなの? 死ぬってどんなことなの?
そう子供に問われ、判然と答えられる人はいない。
だって誰も命の本質なんて知らないし、誰も死を体験したことはないから。
「なににでも好奇心を持てっていつも言うのに、どうしてパソコンで死体を見るのはいけないの?」と生徒は問う。
だが教師は「いいから辞めなさい」と答えることしかできない。
「ちゃんと命の重さを教えてくださいよ先生」と他人は責める。
だがそれをどう教えればいいのかは誰も言ってくれない。
「死っていうのは、それを悲しめる人だけが関わるべきなのよ」と妻は言う。
だが死とはそんなに悲しく暗い閉鎖的なものなのだろうか。
生徒を衰弱した父に会わせても、それは人としてではなく、死に行く者としてしか生徒には写らない。
だがその手の暖かさを感じた少年には、消えようとしている一つの命が見えた。言葉ではなく、父と息子はその少年に命を教えようとした。
その少年は父が残した、最後の教え子になった】
大げさな演出を加えず、ただ日常の風景として死に行く者を抱えた家族と、その一員で教師でもある男を観せる。
死というテーマを、必要以上に重く語ることも、あっけらかんと茶化してみせることもせず、あくまでも瑞々しい日常の延長線として溶け込ませている。その手法はもう熟練の域だ。
倫理や道徳は大人の規範であり、子供には通用しない。多様化した現代の子供の好奇心が死に向かうのだって決して特別なことではない。だがそれを教師が説明するのは極めて困難だ。
教師なんてろくなもんじゃない、とい嘆く同僚もいるが、父は死の間際まで教師だった。その生き様は不器用だが崇高で、美しい。
劇中の妻の言葉を聞いて、「死の悲しみはそれに携わった一部の人だけが感じるもの」というどこかで読んだ文を思い出した。確かにそうなのかもしれない。
前作トニー滝谷(原作は村上春樹)に続いて、淡々とした独自の世界を構築した市川監督のセンスに驚いた。決して知名度が高くはないが、このような深くて秀作な短編小説を選び、その世界観を損なわず映像化するセンス、独特の映像美。
特にこの映画で目立ったのは、映像の揺れ。教師としての価値観や、子供への接し方や、総じて生や死に関する不安定さを表したいのかな、と感じた。その狙いは上手く出ていたと思う。
予告編を観たときに台詞棒読みで鑑賞に堪え得るかどうか不安だったテリー伊藤の芝居も、意外といい感じに仕上がっていて、むしろ無駄な力の抜けた自然な芝居だったようにさえ思えた。きっと、この映画との相性がよかったのでしょう。
ラストでは思いがけず泣きそうになった。こういったラストは、市川監督では珍しいんじゃなかろうか。
余談ですが、テリー伊藤の母親を演じた麻生美代子さんは、サザエさんの母、磯野フネさんの声優を担当している方なんだとか。確かに似てる、磯野フネと、顔がね。
(2006年/日本/市川準監督)
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