たいようの映画の感想

映画を観て感動しても、少し時間が経てば結構忘れてしまうんです。そんな忘れんぼうな自分のための記録なんです。

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パラノイドパーク (シネセゾン)

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 カンヌでパルムドールを受賞した『エレファント』と同じ匂いが漂う、ガス・ヴァン・サント監督最新作。主人公は『エレファント』と同じく、アレックスという名前の少年だ。

 恋人がいて、戦争を気に病み、両親は不仲だがそれほど心を痛めてはいない普通の少年。だが彼は、ほんの些細なきっかけで大きな事件の加害者となってしまう。
 少年は動揺する。
 だがそれは大きな事件を起こしてしまったことよりも、良心に苛まれる自分となんとか隠し通そうとする自分の間に立ち、生まれて初めての自我の葛藤に出会ったことによるもののようにスクリーンに映る。その葛藤は誰しもが持ち合わせるものだが、アレックスのそれは「人殺し」という16歳がひとりで抱え込むには
あまりに重い現実なのだ。

 16歳というただでさえ多感な時期に、誰にも打ち明けることができない秘密を持ってしまったとしたら、そしてそれが世間を巻き込み、自分の人生を大きく狂わせるほどの秘密であったとしたら。

 そんな少年の内面世界での葛藤や苦しみは想像を絶する。
 しかしながら、映画ではこの心の揺れを柔かく緩やかに描く。相変らず少ない台詞で、音楽と映像を混ぜ合わせて少年の心象風景を描写していく。人を殺めてしまった普通の人間があんな静かに過ごせるわけがないといった声が聞こえてきそうだが、あの静けさこそが、この映画のリアルだ。

 救いを求めようにも誰に打ち明けることもできず、しかしながらその罪の重さに押しつぶされることもなく淡々と毎日を送るアレックスの、無表情さ。静けさ。
 
 あの姿こそが今の若者の姿をリアルに映している気がしてならない。


  *  *  *  *  *


 劇中では恣意的なスローモーションが随所に散りばめられ、なにかが起こりそうな間と空気を幾度となく作っておきながら、結局は何も起こらない。それらの映像が実に印象的にアレックスの葛藤や事件以前の自分に対するノスタルジーを表現している(鑑賞後に撮影がクリストファー・ドイルだったと知って納得した)。
 しかしながら結局はこの映画も、『エレファント』で犯人の少年らがあの行動に至った理由を解明しなかったのと同様に、物語としての結末を描かない。それどころか、アレックスが心に秘めた核心を上手に避けながら彼を描いていたとすら言えるかもしれない。

 結末や本質を客の想像に委ねるというその手法自体は咎められることではない。だが、結果としてアメリカの銃社会の問題点やあれほどの事件の犯人も「普通の若者」だったということを浮かび上がらせた『エファント』に対し、『パラノイドパーク』が抽出したこととは一体何だっただろうか。

 偶然犯してしまった罪に苦しめられる少年を通して監督が描こうとしたのは間違いなく《現代の若者》であり、それはある種のリアリティーを持ってスクリーンで表現される。しかしそのリアルにより監督が何を言わんとしているのか、その声は聞こえてこない。時間軸をずらして事件の真相を徐々に明かしていく手法も、「どんな罪を犯したか」より「罪を犯した少年の内側」を主題としているはずのこの映画には有効的ではなかったと感じた。

 劇中、無表情に佇みながら事件のことを回想するアレックスのカットにアップテンポでポップな音楽が乗せられているシーンが何度かある。場面の雰囲気と音楽がマッチしないこの違和感こそ、50歳を超えた監督が若者に抱く違和感だったのかもしれない。

 『エレファント』然り『ジェリー』然り、最近のヴァン・サントは実験的でパーソナルな感覚を突き詰めて映画を撮っているように思えるが、この荒涼感すら漂う映像の静謐さや観客との距離感の取り方などが、他の監督と一線を画す彼のオリジナリティーと定着しつつある。


(2007年/アメリカ・フランス/ガス・ヴァン・サント監督)

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