たいようの映画の感想

映画を観て感動しても、少し時間が経てば結構忘れてしまうんです。そんな忘れんぼうな自分のための記録なんです。

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【音楽】唄う短編小説家、ミドリカワ書房

 ミドリカワ書房なるアーティストがいる。別名「J-POP界の文豪」。
 彼は主人公を据えた物語を歌詞に代え、音に乗せて謳う歌手だ。一人称で語られる彼の曲は、その場面の景色と主人公の心の中を鮮やかに描き出す。本名=緑川伸一が、まるで小説世界のような詞を歌う。だからミドリカワ"書房"なのだ。
 
 しかしながら、物語性のある詞を書くアーティストは他に多く存在する。なぜ彼だけが唯一「文豪」と呼ばれるのか。
 それは彼のほぼ全ての唄が物語であるからという理由がまず挙げられるだろう。
 だがそれだけではない。 
 ちょっと長い文章になるだろうが、書き記しておきたい。
 ミドリカワ書房のちょっと複雑なようでいて単純明快な魅力。


 *  *  *  *


 彼の特徴は、扱う物語の多彩さにある。
 シングルカットもされている『リンゴガール』は隣に住んでいる大学生への甘い想いを抱いた漫画家の話で、ポップで真っ当な名曲。
『顔2005』は整形手術をすることを決心した少女が、母親にその告白をする話。さらに続編となる『心』では、整形手術をして5年が経った少女の胸中が綴られ、結局は「こんなことならやらなければよかった」という後悔の念が描かれる。
 また『上京十年目 神にすがる』ではオレオレ詐欺で生活費を稼ぐ男の苦悩の胸中を、『それぞれに真実がある』は妻との離婚を決めた父親が娘にそのことを説明する話し言葉がそのまま唄となり、かと思えば万引きGメンが万引き犯を問い詰める様子を描いた『OH! Gメン』なんて唄もある。一体どこからネタを仕込んでくるのかと不思議に思うほどバリエーションが豊かだ。
 さらに、8ビートの軽快なリズムでタイトルそのままの疾走感溢れる前奏から始まる『ドライブ』。爽やかな前奏とは裏腹に、歌詞の出だしはこうだ。

「腰の曲がったお婆ちゃんを さっき僕らは轢き逃げした」

 耳を疑う。
 だが何度聞いても、むしろ聞けば聞くほど、お婆ちゃんを轢き逃げした青年の逃避行の姿が(それもとてつもなく無責任で無反省な逃避行の姿が)ありありと浮かんでくるのだ。

 この曲は爽やかなビートが刻まれながらこう続く。

「逃げましょうと彼女は言う 僕は小さく頷いた それからひたすら走った 僕らはどこへ行くのだろう?」
「小さな旅館で一泊することにした なんだかとっても素敵な夜だった」
「何が正しくて 何が悪いなんて 誰もそんな事 教えてくれなかった」
「次の日 三人の男が僕らの前に現れた」
「これからずっとあの娘に会えないのかな? 離れていても好きでいてくれるかな?」
「独りでいるのも結構落ち着く 割とみなさんいい人達だよ」
「こんな息子でごめんなさいママ 心配しないで 僕は元気だから」


 この違和感はなんだろう。人を轢き逃げした人間の言葉として歌われる唄であるのに、彼は反省はおろか、事件があった夜を「素敵な夜だった」と述べ、逮捕されても考えることは彼女や家族のことばかり。被害者への反省なんてものは一言一句表されない。

 だがなぜか、妙にリアルなのだ。
 反省がないからリアルだとか、そういった意味ではなく、一曲を通して聴き終えたあと、獄中でのんびりと暮らす「僕」の姿がはっきりと目に浮かぶのだ。そしてこんな歌詞であるにも関わらず、(不謹慎この上ないことを承知で言えば)とても爽やかで素敵で切ない曲に聞こえてくるのだ。
 

  *  *  *  *


 ミドリカワ書房はこのように、他の多くのアーティストが扱わないような題材を進んで取り上げる。目立ちたがり屋とか、売れるために奇をてらっただけだとか言ってしまえばそれまでだし、実際その通りでもあるのだろうが、彼には決定的に他のアーティストたちと異なる部分がある。

 多くの作詞者たちは「自分が伝えたいある事象」もしくは「ある感情」を伝えるための手段として物語を用いる。物語は感情移入を容易にし、伝えたいことがらをはっきりと言葉にせずともスムーズに伝えられる装置である。空気感や感情の機微などは直接言葉に表すよりも物語として語ったほうがより正確に届く場合もある。

 だがミドリカワにとっての物語は、装置ではない。物語そのものが主題である。
 唄を伝えるための物語ではなく、物語を伝えるための唄に限りなく近いのだ。

 さらに彼には限られた分量の中で、物語を操り、聴き手を引き込む見事なまでの心理描写と構成力をも持ち合わせている。 
 そのよい例が『恍惚の人』だ。

 ミドリカワのほとんどの曲がそうだが、この曲もタイトルだけでは何をテーマとしているのかはさっぱり分からない。
 1番の歌詞を聴き終えたところで分かるのは、年を取ったお爺さんの一人称であるということと、彼は息子の家族と共に暮らしているということ。

 アコギの音が響く切ないメロディーに乗り2番の歌詞が始まると、徐々に物語=彼が抱えている「ある問題」が姿を表す。

 終盤に指しかかるにつれて、聴き手を哀しさと寂しさとやるせなさのどん底に突き落とすかのように、「ある問題」ははっきりと表れる。

 最後まで「ある問題」が直接的に言葉にされることはないまま、物語から鮮やかに立ち登る切なさだけを残して曲は終る。まるで短編小説の読後感のように。


  *  *  *  *


 聴き手の心を強烈に掴むようなフレーズがあるわけではなく、ぐっさりと一突きするような鋭利な言葉を扱うわけでもなく、それでもなお、ミドリカワの言葉は不思議なほどに心に響く。
 これがミドリカワが、さらには物語が持つ不思議な力だ。

「奇跡の名曲」とか「衝撃的新星の誕生」といった褒め言葉が日常会話のように繰り出されるようになった音楽業界だが、ある雑誌がミドリカワの紹介に使ったコピーはすんなりと納得することができてしまった。
 それは「唯一無二」。

 5分〜6分という限られた時間で魅せる濃厚でドラマティックなストーリーテリング。この快感は、他のどんな曲を聴いても味わうことができない快感ではないだろうか。

 なぜこんな妙なことばかりを唄うのか、という点で物議を醸すことも多いミドリカワだが、そんな動機や理由や詮索や常識なんかを一度忘れて、ただ目を瞑って曲を聴いて見れば、すぐに分かるだろう。ミドリカワ書房がただの「物珍しい存在」というだけで音楽業界を生きてきた人ではないということが。


 前述した『恍惚の人』しかり、『それぞれに真実がある』しかり、扱う内容が先行して取り上げられがちだが、これらは単純明快にキャッチーなメロディーに載せられたポップな名曲である。ミドリカワの実在する弟を描いたと言われている『馬鹿兄弟』なんて、何度聞いても身が震える感動を呼ぶ。

 単純にいい話を書ける。小説家にとっても、これが一番難しいことではないだろうか。悲しみに満たされた物語を書くことはそれほどまでに難しいことではない。幸福な物語が書けるということこそ、物書きにとっての一番の武器となる。

 その武器を持っているからこそミドリカワは唯一無二で在り続け、「唄う短編小説家」で在り続けられるのだろう。

 そして、だからこそ名曲と謳われる『それぞれに真実がある』や『リンゴガール』などでわざわざ続編を作り(『続・それぞれに真実がある』、『昔の彼は彼ならず』)聴き手をとんでもなく裏切って厭な気分にさせるような遊び心を忘れずにいられるのだろう。


「ママの言ってる事は 全部 嘘じゃないけど
 パパはお前のことが大好きなんだよ
 笑っちゃうかい? だけどね これがパパの真実だから

 何で泣くんだよ? 初めてお前に手をあげたときでも泣かなかったじゃん
 パパみたいなのと付き合っちゃダメだよ
 お前は綺麗だから心配だなぁ

 何を言ったって無駄かもしれないけど
 お前には俺の血が流れてんだ

 ママと別れたって俺たちは親子だから
 一生俺は お前のパパだからな」

(『それぞれに真実がある』より)



  *  *  *  *


 本当はこれで終わりにしたかったのだが、やはりミドリカワを語る上で触れておかなければならない唄がある。
 セカンドアルバム「みんなの唄+α」に収録予定だった『母さん』である。

 数々のテーマで唄を作ってきたミドリカワだったが、この曲だけは所属レーベルが断じて発表を許さず、歌詞を変更するかアルバムへの収録そのものを取りやめるかという選択を彼は迫られた。
 彼はそのどちらも選ばず、インスゥメンタルでの収録に踏み切った。

 テーマは「死刑」である。
 内容は、刑の執行を間近に控えた死刑囚が母親に宛てた、最初で最後の手紙。

 そもそも過去に扱った物と比べても格段に難しい内容であるし、歌詞の内容がまた(常識的に考えてみたら)とんでもないものだ。
 だからレーベルが発売を拒否したことは不思議なことではない。だがミドリカワがそう易々と会社の決定に従うことができなかったことも頷ける。彼はもうずっとこのやり方で唄ってきたのだから。これを許してしまうことは彼の創作の根源に、さらには歌手生命に関わってくることになる。

 一度はインストとしての収録に妥協したミドリカワだったが、昨年2月、この問題の「母さん」を歌詞入りで収録されたアルバムがリリースされた。しかし、インディーズの自主レーベルから。

 このミドリカワの姿勢に語り部(歌い手)としての、表現者としての意地と責任感を感じずにはいられない。
 
 そして曲を聴いてみればやはり、今までの突飛なテーマを扱ってきた曲たちと同様、単純に素晴らしい曲なのだ。内容が良いとか悪いとか、間違っているとか正しいとかは分からない(というか普通の頭で考えれば完全に良くない)が、それでもやはり良い曲なのだ。涙なしには聴くことができない名曲なのだ。

 これだから不思議だ。
 これだからミドリカワ書房は唯一無二の「文豪」なのだ。


  

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