―12歳の頃に 僕が探し求めていたものを
僕は未だに探してるんだ― 名作と呼ばれる『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を僕はまだ見ていない。そのことを強く後悔した。それほどに、このジョン・キャメロン・ミッチェル監督の新作はいい映画だった。
冒頭からAV顔負けのアクロバティックセックスを披露し、何度も絶頂に達した(かのように見える)女性、恋愛カウンセラーをしているソフィア。
彼女は本当は「イッたことがない」ことを気に病んでいる。
ここからスタートする物語では、多くのセックスが登場する。
SMもあればゲイもあるし乱交もある。
もはやセックス博覧会みたいな映画である。
だが途中で、ただのセックス映画ではないと気付く。
数多くのセックスを通して描かれるのはセックスそのものではなく(セックスそのものでもあるのだけれど)「愛」であり「人」だ。
どう生きるのか、どう生きればいいのか。それに一律の答えはないし、答えなんてそもそもあるかどうかも分からない。
自分の中にあるわだかまりや掴みきれない感情を抱え、傷つくのを恐れ、誰かに拒否されることに怯えるぼくらは、どう生きていくべきなのか。
それは誰にも分らない。
じゃぁ分らないなら分らないと笑い飛ばしてしまえばいい。
分らないなら分らないと泣いてしまえばいい。
そんな単純なことを今さら…、と誰もが思うが、そうすれば楽になれることも承知なのに、人はなかなかそう出来ない。
そんな、人の心の中にある固い塊、多かれ少なかれ誰もが持っているであろう後ろめたさや頑固な部分や、そういったものをそっと溶かすような温かみが、この映画にはあったような気がする。
「それでいいんだよ」と心に迫る優しさが全編に流れる。ラストシーンで街中に灯りがともったように、登場人物たちの心にも小さなひかりがともったように、観ている人の心にも同様に、小さな、けれども確かなひかりがともるような映画だった。
辛いことがある人や、苦しかったり、我慢することになれていたり、悲しかったり、そんな人はすっと肩の力を抜いて、こんな映画を観てほしいなぁと心から思ったのでした。
笑ってもいいんだろうか、泣いてもいいんだろうか、そんな全て静かに肯定してくれるような、どうしてこんな簡単なことが出来なかったんだろうと思わせてくれるような、優しさと温かみがいっぱいに溢れた映画。
鑑賞後の気分は最高にいいと思います。
(2006年/アメリカ/ジョン・キャメロン・ミッチェル監督)