2007.04.30 Mon
明日、君がいない (アミューズCQN)

学校という名の地獄。
僕たちが抱える苦悩。
誰かが死ぬと言う事。
1984年という僕と同じ年に生まれたオーストラリア出身の監督が、19歳という驚異的な若さで映画作りのノウハウも持たぬままに、たった36時間で脚本を書き上げ、制作に入った作品。
素人とは思えぬ完成度の高さと、脚本の練られ方、そして着地点。
その原点には、親友をなくした悲しみや無力感、その償いという固い意思があったのだそうだ。
そしてその親友が亡くなった時刻、2:37が、この映画の原題にもなっている。
影響を受けた人として、彼はガス・ヴァン・サント監督を上げている。その言葉通り、観た人なら誰だって気付くであろうほどに、この映画は「エレファント」に構成が酷似している。
だが皮肉にも、「エレファント」以上の作品になってしまっていると僕は感じた。
「エレファント」では、あの事件の犯人を、他の多くの者たちと変らぬ青年として取り上げ、そんな彼らが狂気に及ぶ様を淡々とみせた。そこで浮かびあがったのは、「なぜ彼らが?」という疑問の投げかけであった。
しかしこの映画では、登場人物たちそれぞれの独白を交えることにより、それぞれの悲しみや抱えていた苦しみが、痛々しいほど伝わってくる作りになっている。
そして、この構成こそが、この映画が成功した最大の鍵だったのだろう。
ここまで心が揺さぶられるような映画を観たのはいつ以来だろう?
「アメリカン・ヒストリーX」や「ホテル・ルワンダ」も同じような衝撃を受けたが、題材が身近だったこともあってか、僕の中ではそれらを遥かに凌いでしまった感がある。
心の隙間の、油断して完全に無防備になっていたようなところに、鋭いものをすっと突き刺されたような、静かで圧倒的な映画だった。
僕はこの手のジャンルでこの映画以上のものを今のところ知らないし、今後これ以上の作品に出会う気も、今は全くしない。
「誰が自殺するのか」という謎を掲示することにより持続させた緊張感が消える瞬間の、脱力感と無力感は、本当に言葉を失うほどだったと思う。
「誰が死ぬのか」なんて詮索しながら見ていた自分自身を恥じ、まさに打ちのめされたような気分だった。
絶望に満ちた映画であり、救いの手は一切差し伸べられないが、有無を言わさず観たほうがいい、と人に勧められる久し振りの映画だった。
だが間違いなく、鑑賞後は酷い気分になるだろう。
それは恐らく監督が味わったのと同じ、"友人が突然自殺した時"の気持ちに近いかもしれない。
人は誰だって苦しみを抱えてる。
人に言えない悩みを持っている。
その通り。でもそんなの聞き飽きた。
それに、だからって、全ての人が自殺をするわけじゃない。
僕があの中の誰かだったら、自殺したあの人を救えただろうか? と考える。
まず間違いなく、救えなかっただろう。
偶然隣に座った誰か、
毎日顔を合わす誰か、
とても仲のよい誰か、
そんな誰かのことを、きっと僕らは、これっぽっちも分かってはいないんだ。
そしてこれからも、そんな誰かのことを知った顔して、
本当は何も知らないままに、
本当は見向きもしないままに、
僕らは生きていくんだろう。
(2006年/オーストラリア/ムラーリ・K・タルリ監督)
| 映画 ☆☆☆☆☆ | 23:51 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

ここの記事を読んでいたら、また涙が出て来ました...。
彼等の独白と繰り返しの場面が、だんだんと胸に迫ってきて『なぜ、彼らが?』と問うばかりでした。
TBさせていただきました。
| あん | 2007/05/24 13:10 | URL |