たいようの映画の感想

映画を観て感動しても、少し時間が経てば結構忘れてしまうんです。そんな忘れんぼうな自分のための記録なんです。

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松ヶ根乱射事件 (新宿テアトル)

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「これから始まるのは、1990年代も半ばにさしかかろうとする頃のお話」

 このテロップで始まる「松ヶ根乱射事件」。
 タイトルだけ観れば実際にあった事件をもとにした史実映画か、社会派映画か、もしくはドキュメンタリーか、といった印象を受ける。だがどれでもない。ジャンル分けするとすればコメディーだろうか。しかしただ腹を抱えて笑えばいいだけのコメディーでも当然ない。 

 描かれるのはどこにでもある田舎町・松ヶ根を舞台にした少しおかしな人間模様。少しおかしくはあるが、はたから見ればどこにでもある光景。
 登場人物それぞれが少しづつずれていて、少しづつ周囲に影響を与えて行く。笑えないような状況を描きながらも、人々は観ているこちらが失笑するしかないほど滑稽で、だらしない。格好いいヒーローも美しいヒロインも存在しない、等身大の人間模様だ。

 ひき逃げした兄。20万の御守りを買う親友。家出した父。
 誰にでも股を開く友人。娘を売る近所のおばさん。金塊を隠し持つカップル。

 時間とともに彼らの関係と行動は徐々に常軌を逸していくが、不思議なことに、そのどうしようもなさから妙な人間味を感じるのだ。恐怖に声が裏返るさまも、浮気を咎められ開き直るさまも、シュールな笑いに包まれながら確かに現実的でもある。
 追い詰められたときに出るのが真の人間味だ。そして監督はその人間味の表出を、憐れさで表した。哀れで、滑稽で、情けない。もう救いようのないほどに。
 
 主人公的位置にいる警官は、恐らくこんな町の住人達を、自分とは切り離したところから眺めていたことだろう。
「みんなどうしようもないな」と。
 これは映画を観ている観客と同じ視線でもある。
 だがあるきっかけで、彼も“少しおかしな”人物の一人となる。正確には、彼が自分で気が付いていないだけであり、以前から紛れもなく“少しおかしな”人物の一人であったのだ。そして彼も常軌を逸していく。
 結局のところ、彼も(もしかしたら僕達も全員)このおかしな町の住人だったのである。

 人は必死になればなるほど、他人から観れば滑稽なものなのかもしれない。そんな人としての避けられない憐れさが、一貫して描かれている。

 どうしようもないコメディーが続いていく中、緊張が途切れないのはインパクトあるタイトルのせいだろう。どこで「事件」が起こるのか、それはどんな「事件」なのか。

「事件」はラストシーンで起こる。
 最後まで格好悪く、情けなく、人間性が表れている。
 同時に、僕はこのラストにとんでもないカタルシスを感じた。普通なら中だるみしたグダグダな映画になりそうなものを、ここまでの仕上がりにしたのはなによりもタイトルのセンスと、このラストシーンだろう。

 これは悲劇でありながら、どうしようもない喜劇でもある。
 その差は紙一重、というか、実はまったく同じものなのかもしれない。 
 滑稽な物語の中に、普遍性の匂いすら感じる。

 全てのキャラクターが倫理観に絶望的に欠けたどうしようもない人達だが、そのどれもが愛おしく感じように描かれている。
 これは、監督が人間に対する暖かい観察眼を持っているなによりの証拠だろう。

 ブラックコメディとは銘打たれているが、そんな区別など関係なく、新しい人間ドラマだったように思う。
 

(2006年/日本/山下敦弘監督)

| 映画 ☆☆☆☆ | 01:41 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

客観の主観

コメント&TB失礼します。
まさしく、ニュータイプのヒューマンドラマという感じでしたね。
どうしようもないなと思っている主人公もどうしようもなく、
もしかしたらこの映画を見ている自分もどうしようもなく、
結局常識にしろ一般論にしろ変人にしろ、
その考え方もまた人それぞれで、
皆が皆、変態といえるかも知らんと思いました。

すみません。
どうやらTBできなかった模様です。
コメントのみ失礼します。

| 現象 | 2007/03/08 00:33 | URL | ≫ EDIT















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