
原題:Eternal Sunshine of the Spotless Mind
“汚れなき心の永遠の輝き”
まさにチャーリー・カウフマンの世界である。「マルコビッチの穴」でハリウッドの話題をさらい、「アダプテーション」で地位を不動のものにし、今作ではその手腕でラブストーリーを書いてみせた。
日本版パッケージはコテコテのラブストーリー風だが、彼が書いたのだから当然一筋縄ではいかない。上記ニ作品で受賞を逃したオスカー脚本賞を三度目のノミネートにしてようやく受賞した記念的作品でもある。
愛する人を失うのは辛いことだ。この世の終わりのように感じさえする。いっそ忘れてしまえたらどんなに楽だろうか。そして、嫌な記憶を本当に消し去ってしまうことが出来るのだとしたら……?
記憶は頭の中で、その当時のまま溜まり続ける。自分では忘れてしまっているようなこともちゃんと残っている。最低の思い出だと思っていたものでも、記憶の奥底に眠る当時の感情はちょっと違っていたりもする。
記憶が消去出来るとしたらという着眼点に始まり、どんどん消されていく自分の記憶の上を逃げ回るという発想もその映像化も、全てにおいて見事に独創的だ。
脳内の登場人物の顔の消失や、今自分のいる記憶が暗転していくさまなど、記憶の消去の過程や、そのドラマも実に巧みだった。
後半になるにつれて前半部分が生きてくる構成も面白いし、奇抜なストーリーに笑いも絡めて引き付けておき、奥深いテーマをもしっかりと語っているというのがすごい。
彼は今世界中でもっともこのジャンルでのストーリーテリングが巧い脚本家なんじゃないかと本気で思う。
脚本を映像化するに伴っては当然監督の力量というのが大きく左右するわけだが(最近の邦画によくあるような起伏の少ないドラマや、このようなぶっ飛んだ脚本の場合は特に)、チャーリー・カウフマンと同じように“奇才”と呼ばれる映像作家ミシェル・ゴンドリーが撮ったのだから、つまらないものが出来る訳がない。恐らく脚本の段階では「こんなの映像化できるのかよ」と多くの人が思っただろうと想像するが、そこはさすがにミシェル・ゴンドリーである。脚本同様、色彩感や記憶が消えていく過程の見せ方なども実に巧みなのである。
まず面白い、とにかく巧い、しかもホンワリする。
そんな他の映画とはなかなか比べることの難しい、異彩を放つ映画だった。
“How happy is the blameless Vestal's lot!
The world forgetting, by the world forgot;
Eternal sunshine of the spotless mind!
Each pray'r accepted, and each wish resign'd”
(真の幸福は罪なき者に宿る。忘却は許すこと。
太陽の光に導かれ、無垢な祈りは神に受け入れられる) 劇中で引用されるアレクサンダー・ポープの文学作品「エロイーザからアベラールへ」(1717)の一部である。
忘却は許すこと。
素敵な一節だ。この映画を象徴しているような言葉でもある。
だが確かに忘却は許すことでもあるかもしれないが、忘却は決して前進ではないと個人的には思っている。
消えていく自らの記憶の中で、ジョエルは自分を苦しめていた過去が本当はどれだけ価値ある美しいものだったかを知り、今度はそれが消えてしまうということに苦しめられるのだ。
しかし結末は暖かい。
記憶がなくなっても、もっと大切ななにかは決して消えない。
それこそ“汚れなき”“永遠に輝く”ものであり、心のずっと奥深くにあるもの。
だから一度惹かれ合ったものは、何度だって惹かれ合うのかもしれない。
こう考えると語っていることは実にたいしたことないのに、語り口が饒舌なせいで妙にしみじみ感じてしまうのでした。
余談ですがミシェル・ゴンドリーの次回作は自ら脚本を書いた「恋愛睡眠のすすめ(原題:the science of sleep)」で、主演がガエル・ガルシア・ベルナル。この組み合わせが非常に楽しみです。
(2004年/アメリカ/ミシェル・ゴンドリー監督)