"私が考え信じているのは、すべてはカオスである、すなわち、土、空気、水、火、などこれらの全体はカオスである。この全体は次第に塊になっていった。ちょうど牛乳のなかからチーズの塊ができ、そこからうじ虫があらわれてくるように、このうじ虫のように出現してくるものが天使たちなのだ。 ――メノッキオ”
―カルロ・ギンズブルグ著/「チーズとうじ虫」より このドキュメンタリー映画の監督である加藤治代は、そもそも映画監督などではない。
癌を宣告され、余命一年と言われた母が、三年経っても変わらず元気に暮らす姿を見て、「奇跡的に癌を克服した記録」を残そうとして小さなカメラを買ったことがきっかけだ。母を撮影し始めてから、彼女は映画学校のドキュメンタリーコースに通い始める。
だが結果としてこの映画は「奇跡的に癌を克服した記録」にはならず、「癌の闘病記」でもない。
母の記録を残すために日頃からカメラを廻していた彼女だったが、時折母に苦痛が訪れるとき、母が本当に癌と戦っていたとき、彼女はカメラを置いて母の側で励ましていたのだろう。
さっきまで元気に笑っていた母が、ポンと切り替わった次のカットでは顔に白い布を被せられている。
母が死んでから彼女は気がつく。撮ることが出来たのは母と祖母と自分が他愛もない会話を繰り返す、何気ない日常の映像のみだったと。
公式サイトのあらすじにはこうある。
――母親の死後、肝心なものがなにひとつ撮れなかったという空白感から、思い出を辿る祖母と自身の心情を記録していきます。―― この"なにひとつ撮れなかった空白感"こそが、このドキュメンタリー作品におけるいちばんの魅力(人の死を扱った作品に対してこういう言い方は相応しくないかもしれないが)となっている。
肝心なものはなにひとつ映らないのである。
母が苦しむシーンも、痩せ衰えていくシーンもない。病院での数少ないシーンでは、まだ母はカメラに向かって元気に手を振ってみせる。
そして涙はただのワンカットも映されない。
母の死の前後では表面上はなにも変わらない。
だがなにも変わらないはずの家の玄関や台所やリビングの映像には、はっきりと母親の不在の影が濃く映る。
主をなくした耕作機は埃をかぶり、キャンバスは真っ白のまま。
祖母は縁側で背中を丸める。
肝心なものがなにひとつ映らないからこそ、鮮やかと呼べる程に強烈な喪失感が浮かび上がってくる。
映画と呼ぶにはあまりにも個人的な映像の寄せ集めに過ぎないかもしれない。だが、個人的であるからこそ、多くの人に響く普遍性もある。
同時に、その個人的に過ぎる映像を用いてここまで感性豊かな作品を作り上げた加藤治代氏は、ただ母親の闘病を記録に残すことが目的でカメラを廻していた素人などではなく、すでに立派な映像作家であると感じた。
各国映画祭のドキュメンタリー部門に招待、受賞などを果たしたが、上映は関東圏でもポレポレ東中野のモーニング・レイトショーのみ、しかも1ヶ月足らずという極小規模の上映であったことが残念だ。今からでも観られる映画館は京都のみである。
市民センターでの無料上映会ということもあってか圧倒的に年配の方が多く(恐らく20歳代の人は自分一人だった)、その大半はなんの脈略もない前半部分で居眠りに耽っていた。
それでも、わざわざ三郷まで行く価値はあったと思う作品であった。
もっとこの種のイベントが増えて行けばいいのに、と強く思ったのでした。
(2005年/日本/加藤治代監督)
三郷なの?三鷹なの?
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| わし | 2006/12/18 03:49 | URL |