たいようの映画の感想

映画を観て感動しても、少し時間が経てば結構忘れてしまうんです。そんな忘れんぼうな自分のための記録なんです。

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イカとクジラ (新宿武蔵野館)

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「全米批評家が絶賛!!」
 なんて言うほど凄いのかどうかは正直よく分からないが、05年オスカーにもノミネートされ、国内の有名映画賞の脚本賞をごっそり受賞したたこの脚本が逸品であることは間違いないのだと思う。

 昔は人気作家だったが今は書いても書いても出版社に断られる父と、処女作がいきなり有名文芸誌に掲載されることになった母。この設定からまず面白い。物語はこの夫婦の離婚を機にギクシャクと歪んでいく家族の姿を、二人の息子の視点から丁寧に、というか恥ずかしいほどあからさまに描いていく。

「映画にも本にも興味がないやつなんか俗物だ」
「出版社のやつらは馬鹿なんだよ。父さんは高尚すぎて売れないんだ」
「あいつは二流だよ。中途半端だ」
(息子のテニスコーチについて語る父親の言葉)
「ああ、とてもカフカ的だね」
(彼女にカフカの「変身」の感想を話す長男の言葉)
「僕にも書ける曲が先に発表されてただけだよ」
(学校のコンテストで自作と発表した曲がピンク・フロイドの曲だったとばれた時の長男の言葉)
「私も辛かったのよ、chiken」
(どうして離婚するのか、と長男に詰め寄られた時の母親の言葉)

 この映画の中では、ひたすらにこの家族がいかにオカシイかということが徹底的に語られる。
 上記の台詞などだけでなく、父親が長男とその彼女と観に行く映画にデヴィッド・リンチの(性描写が激しいことで有名な)「ブルー・ベルベッド」を選んでみたり、その後の食事でちゃっかりその彼女からも代金を貰っていたり、体調が悪いと言っている次男を卓球に誘ったり、息子が会いに来たのに「約束と違う」と言って追い返そうとしてみたり、父親の受け売りばかりで芸術を語る長男や、そのことで「自分で読まなきゃ本当の良さは分からないのよ」と諭されても「時間の無駄だよ」なんて言ってみたり、息子のことを愛着を込めてchikenなんて呼んでみたり。
 
 言葉の端々や、行動のちょっとしたところに、こういった家族のオカシさが何度も何度も描かれ浮き彫りにされていく。
 この描写の仕方が、まるで説明調でなく実に自然だ。

 そしてこの脚本が優れていると感じたのが、離婚により崩れていく家族・息子たちの人格、もしくは子供における親の影響という非常にナイーブで複雑で悲惨な現実を真剣に正面から描いているのに、まったく重苦しくないという点だ。
 次男が本棚の角に股間を擦りつけてマスターベーションをしているなんていうのは相当にショッキングな行動のはずなのに、悲観的になりすぎることなく、不思議とユーモラスな空気に包まれている。こんなに駄目な家族なのに、それをどこか滑稽に見せ、決して冷たい視線で突き離すこともしない。

 描写の上手さや、根底に感じる人間に対する暖かみなどは、イギリス版向田邦子といった印象を受けた。もしくは読み易くしたレイモンド・カーヴァーか。多分。

 ただ、80年代のサブカルチャー、ロックや文学や映画が数多く登場し、それらを通して家族の距離感などを描こうとしていたらしく、それらにてんで無知な人にはさっぱり分からない映画かもしれない(僕も分かりづらい箇所がたくさんあった)。
 非常に小品で感情移入できるキャラクターがいない分退屈もしがちだし単純に解釈できる類の映画でもないが、奥深くてセンスもよくそれでいてさらりと鑑賞できるとても好みの映画だった。


 恐らく親が思っている以上に、子供は親を見て育つのだろう。
 だが親だって不完全な人間で、場合によっては子供よりも子供なのかもしれない。
 10年以上前に、まだ母親のことが好きだった頃に、母親と一緒に見たあのオブジェを再び目にした長男は、あの時なにを思ったのだろうか。
 それは全く描かれないが、きっと。
 あの頃の、様々なものから様々な影響を受けるずっと前の、ただ単純に家族が大好きだったあの頃のこと。
 家族がまだみんな仲良く、幸せに暮らしていたあの頃のこと。


(2005年/アメリカ/ノア・バームバック監督)

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