2006.11.10 Fri
父親たちの星条旗 (上野東急)

言わずと知れた巨匠クリント・イーストウッドが太平洋戦争最大の攻防と言われる硫黄島の戦いを描いた「硫黄島二部作」の第一作。第二作は来月公開の「硫黄島からの手紙」。
アメリカ兵が命を賭けて戦った"IWO JIMA"。
「ミリオンダラー・ベイビー」でコンビを組みクリントに三度目のオスカー監督賞をもたらしたポール・ハギスが脚本を担当したことでも話題を読んだ。彼は脚本と同時に初監督も勤めた「クラッシュ」ではオスカーの作品賞を受賞するなど確かな映画的実力をみせている。
さらに製作にはスピルバーグが名を連るという豪華さだ。
硫黄島。
当初五日間で攻略する計画だったこの島を制圧するのに、米軍は三十六日間を要した。太平洋戦争において米軍の死傷者が日本軍の死傷者を上回った戦場は唯一、硫黄島での攻防戦だけであった。
そこで米兵が観た壮絶な光景と、帰国してもなお続いた悪夢のような日々。
序盤から戦場での生々しいシーンと、硫黄島制圧後その立役者として帰国したドクを含む三名が英雄のように称えられるシーンとが交互に挟みこまれる。中盤以降は彼らのフラッシュバックとして戦場の場面が描かれ、後半はドクの息子(原作の著者である)が、あの戦いについてを当時の将校らに取材するという形式で物語は進んでいく(故に「父親たちの」なのである)。
視点が頻繁に変わるので話の筋を追うのが多少難しかったが、監督がこの映画で描くのは感動的ドラマなどでは全くなく、戦場における悲惨さや非情さや残虐性や不条理性だけでもなく、戦争というもっと大きな歴史的流れの中にあってのアメリカの姿である。
そこで浮かび上がるのは、死んでいったいち兵士たちへの賛歌であり、国家としてのアメリカへの静かな(しかし確かな)バッシングである。
【「兵士たちが戦ったのは国のためだったが、死んだのは国のためではない。彼らは戦友たちのために死んだのだ」】
その言葉が、この映画の多くを語ってくれている。
必死で戦い、生き抜いて国へ戻ったときに彼らが見たのは、「金を集めなければ戦えなくなる」と躍起になりながら自分達は優雅な食事を楽しむ幹部達の姿だった。
長引く戦争に懐疑的になり戦費となる国債を買わなくなった国民の姿だった。
都合のいいように曲げられた美談で偽りの英雄となった三人は、戦費を稼ぐべく広告塔となる。
銀のスプーンで食事をし、数千の観衆の前で弁をとる。
そうしている間にも、戦場では変わらず友が死んでいく。
「戦場にいるものたちのためにも」と銘打たれた金集めツアーはいつまでも続く。
本当に「戦場にいるものたちのため」を想うのであれば、出来ることはもっと他にあるはずなのに。
戦場での壮絶さはそれを知らないものたちの想像を遥かに超える。
友の足が吹き飛び、友の腹が破裂し、友の腕がちぎれ、友の首が転がる。
そうして次々と仲間が命を落としていく中で、彼らを弔う余裕もない。
自分が、仲間が、生きる残るために敵を殺す。あるのはそれだけだ。
そしてなんとか生き延び母国へ帰っても、その手で人を殺したものにはあまりにも濃い影が一生つきまとう。
広告塔となった彼らは思う。
「自分が硫黄島でしたことは、英雄と称えられることだろうか?」
閣僚は戦場で体を散らす兵士になど目が行かず、軍内で地位のあるものは自分の利益しか頭になく、彼らはそんな自分たちの下で死んでいった人々の一体どれだけを理解できるだろう。
戦争を起こし何十万の国民を死に至らせたのが国家なら、帰還後の兵士をさらに傷付けたのも国家だったのだ。
映画は淡々と時代の不条理さを見せるのみで、声高になにかを主張することはない。政治的主張も排除され、いかに戦争がいち市民にとって無意味で無益なものだったかを説く。メッセージ性は静謐と言えるほどに静かだ。だが不思議なほど力強い。
硫黄島争奪の背景や物語の軸となる写真(硫黄島の擂鉢山に星条旗を掲げる光景を撮ったピュリッツァー賞も受賞した有名な写真)についてもそつなく説明が施され、まったく無知識な人の鑑賞にも堪えうるようなつくりになっている。
脚本を含めてこのあたりの演出は、やはりお見事。
「ミリオンダラー〜」や「クラッシュ」に通ずるセンスのよさがこの映画にも間違いなくある。
二部作にして戦争を双方から描くというプロジェクトは過去に例もなく二作目を観ないことにはなんとも言えないが、今作を見る限りニ作目にもかなり期待が出来ると感じた。
(ただ、二本作れば双方の言い分をそれぞれに描けるのは当然で、「スターリングラード」や「トロイ」のような作品もあるのになぁ、とは思った)
今作では殆どスクリーンに映すことなく「不気味で強靭」というニュアンスで描いた日本軍がどのように描かれているのか気になるところ。
最後に、この映画に監督が寄せたコメントを(公式サイトより)。
【私が観て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義でどちらかが悪だと描いていました。
しかし戦争も人生も、そういうものではないのです。
私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。
戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。
どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です】
(2006年/アメリカ/クリント・イーストウッド監督)
| 映画 ☆☆☆☆ | 02:53 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

あのねー、うずらがねー、「父親達の正常位」って云ってたよ。
そんだけ。
| わし | 2006/11/17 01:24 | URL |