
僕は中国映画はあまり観たことがない。中国映画といえば未だにアクション、というイメージしかなかった。だが当然のことながら、それももう昔の話なのだろう。
どこの国でも映画として扱われる題材というのは同じようなものだ。
そしてどこの国でも、高校生が抱える葛藤も同じようなものだ。
「人生でいちばん大切な岐路にあなたたちは今立っています。大学受験に成功すれば願う通りの人生を手に出来、失敗すれば、人生ははそこでジ・エンド」
教師はそう捲くし立て、母親は出て行き、父親も甲斐性なし、彼氏は乱暴者の卑怯者で、新しく来た転校生はいやに絡んでくる。
そんな高校二年生。
悩んで苦しみ葛藤し、全てのものを手にして全てのものを失う。きっとそうして少女は女性になっていく。少年も大人になって行く。
主人公の少女は幼い頃読んだアラブの御伽噺をいつも思い出す。
プレゼントで貰った二本のナイフを眺めて気を晴らす。
だが目を開ければラクダに乗った王子はそこにはいない。
あるのはこん絡がって苛々が募るばかりの日常。
鋭く研いだナイフだってそれを打開してはくれない。
高校生という難しい位置に立つ若者の苦悩を、少女からの目線で主観的に描いた映画だ。だが語りすぎることはなく、それでいて周りに立つ友人達が抱える悩みも、ぼんやりと間接的にではあるが描いている。
「うちにおいでよ」と毎日のように彼女を誘った少女も、
彼女と付き合っていた彼も、
暴挙に出た二番目の彼も、
いつも金を取られる少年アリにも、
その父親にも、
あの女教師にも、
恐らく背景にはそれぞれの葛藤と想いを抱えていたのだろう。
その伏線や示唆の見せ具合、語りすぎず語らなすぎずな具合が個人的にはとても好きだった。
ただ、こういう言い方はもしかしたら失礼かもしれないが、どうにも古臭い印象を感じた。15年くらい前の学園ドラマを見ているようだ。
日本の15年前の学園ドラマと実際に比べたら、質もセンスも断然この映画のほうがいいのだろうが、映画の中で起こる些細な出来事、例えば体育の授業で起こるちょっとしたいざこざであったり、トイレに爆竹を仕込んでみたりといった展開は、日本ではやはり一昔前の学園ドラマだ。今の日本の学校では、校内で分かり易く番長争いするようなことはもう滅多にないと思う。
だが恐らくは、中国ではこれが自然な(というと語弊があるかもしれないが)高校生の光景なのだろう。そんなところから、現在の中国の姿や、そこに抱える問題なども垣間見えた気がする。
内容は古臭いのに、映像や雰囲気は決してそうではなく、描いていることには普遍的なものすら感じる。そんなちょっと不思議な映画でした。
個人的には、タオタオと女教師が繋がってる(要はデキテル)ということを匂わせる描写が何度もあったのが気になりました。
主人公の少女は、なにを思い大切にしていたナイフを捨てたのか。
なにを思い、数年後に砂漠へ行ったのか。
そしてその時にあの高校時代を振り返る時、彼女の胸に込み上げるのはどんな種類の感情なのか。
どこの国でも、若者が抱える苦悩は同じようなものだ。
(2006年/中国/ルー・ユエ監督)
高校生の頃から行きたい行きたいと思っていて、でもチケットを取るのが面倒で行く機会がなかった東京国際映画祭。
チケットを持っていた友達に誘っていただいて初めて行って思ったのは、オーチャードホールで映画を観るなんてなんて贅沢なんだろう、ということ。