
人は誰しも寄りかかれるものを必要とする。
自分がいるべき正しい場所を、
自分であるべき正しい姿を模索するために。
加瀬亮と池脇千鶴が出演しているということだけで観に行った作品。だから魚喃キリコの原作漫画も読んでいないし、他の出演者や監督が誰かも知らなかったし、加瀬亮の登場シーンが少ないということも知らなかった。
登場する四人の女性の描写はとてもリアルだ。本当にどこかにいそうな感じがするし、女性の方ならきっとどれか一人ぐらいはぐっと感情移入してしまうキャラクターがいたのだろう。もしくは全員に少しづつ共感できてしまう、といった具合か。
恋するデリヘル嬢。
恋に依存するOL。
嘔吐するイラストレーター。
手持ち無沙汰なフリーター。
どれもが生き生きとして描かれていて、それぞれの生活や葛藤に見入り、いつ全員が絡んで来るのかと期待しながら観ていた。
思うように行かずに焦燥する日々であったり、退屈で倦怠的な日々であったりを、静かな展開で淡々と語る。大袈裟に盛り上げたり山場を作ったりはしない。
また彼女達の部屋の小物やインテリアが素敵で、それぞれのキャラクターに合わせた演出とコーディネートがなされており、そのセンスがとても好きだった。
特に寝床兼ベッドの棺桶や、駄菓子屋にありそうなショーケース型透明冷蔵庫、「I SLEEP」のヘアバンド兼アイマスク、等など。
が、いつまで経っても話が芯に集まってこない。
彼女達の焦燥に満ちた退屈な毎日がいつまでも同じテンポで語られていくばかりだ。
それぞれがそれぞれの想いを抱え、しんどい毎日を必死で生きていく。
抱えるものがみな違うように、すがるものもまたそれぞれだ。
だが、同じなのは、なにかにすがり、希望を託さなければ生きて行けないということ。
里子にとっての、あの石と恋への願望。
ちひろにとっての、恋愛。
秋代にとっての、キクチ。
塔子にとっての、筆とキャンバス。
ようやく四人が揃ったラストシーンでは、彼女たちはかつて自分がすがり付き、寄りかかることによって自分を維持していたそれらが、既に自分の手の中から少し、あるいは完全に離れてしまっていることにまだ気がついていない。
それでも彼女達は劇中でいちばん解放的にスクリーンに映える。
彼女達にとって生きるためには必ず必要なもの、必ず必要だと思っているもの。だけど、それだけを毎日食べていては生きて行けない。たまには他のものも食べなきゃいけない。
そんな、ストロベリーショートケイクス。
この手の静かで大きな起伏のないストーリーを語る邦画はとても好きなのですが、ちょっと、自分にとってはストーリーが語られ無すぎでした。勿論女性向けの映画であることは疑いようもないので、感じ方が女性とは多分随分違うと思うのですが。
それにしても、せめてあと10分20分短くてもよかったのではないか、と感じました。
そして(予想はしていたけれど)、案の定劇場内は女性客やカップルばかり。
「ハチクロ」の時以来のアウェーな映画館だったのです。
それから、鑑賞後に知ったのですが、イラストレーターの塔子を演じた「岩瀬塔子」という名の女優さん、見たことない顔だなと思ったら、原作者の魚喃キリコさんだったそうです。どうりで筆さばきが上手なわけです。
(2006年/日本/矢崎仁司監督)
語らなさすぎなのは漫画の中でもなんだけど、あの空気感とか映画で出せたのかなぁと気になります。
あたしは断然漫画での世界が好きだと思う。
漫画だと4人が集結するシーンはないっす。
| わし | 2006/10/29 03:33 | URL |