2006.10.07 Sat
『リリイ・シュシュのすべて』(岩井俊二監督/01年)

境界線。
自由と制約、罪と潔白、生と死。
一枚の薄いカーテンのようであり、それでいて対岸の見えない川のように大きな隔たり。
そこを踏み越えてしまった者と留まったもの。
だがその両者にも大きな違いはなにもない。
そんな14歳。
最初にこの映画を観たのは確か高校生の時。
「すげーいい映画だな」なんて思ったことを憶えている。
高校生の僕はこの映画のどこにそんなことを感じたんだろう? と今になってみるととてつもなく不思議だ。本当に内容を理解していたのかどうか怪しいものだ。
今日この映画を改めて観てみて、こう思った。
いや、今だって内容を理解できているかどうかなんて分からないし、こういう表現が果たして正しいのかどうかも分からないのだけれど、やっぱりこう思った。
「いい映画だな」って。
これが14歳のりアルだ。
なんて言われると、荒んでいて不安定なだけが全てではないだろう、と反論もしたくなる。
だけど、荒んでいて不安定で不安定で不安定。
それが14歳と言われれば、そうかもしれないとも思ってしまう。
だからそこに境界線はない。
あるとすれば、足元に引かれた薄い線くらいなもの。
気が付いた時にはその線を超え、後戻り出来ないほどに進んでしまった。
それが青猫。
踏みとどまって、踏みとどまって、それでも踏み超えてしまい、境界線の上でもがき苦しむ。
それがフィリア。
伝わる感情の鋭さに、観ているのが辛くなる。
だが眼を反らせない。
それは、これが自分も通って来た道、あるいは通るかもしれなかった道だからかもしれない。
青春の痛みと悩みと葛藤と罪を、生々しく鮮烈に描き出したこの監督は、やっぱり凄いんだと思う。
岩井俊二作品は今の所、自分の中では外れなしなんです。
映像の綺麗だけでも秀でているけれど、それがこんなにも悲しく、切なく、痛々しく感じさせる作家は他にはないと思う。
『16歳の合衆国』(02年)然り、『害虫』(02年)然り、この年代をテーマにした映画はどうやら好物らしく、鑑賞後は堪らなく感慨深くなってしまいます。
説明がつかない、とか、分かりづらい、とか、そういう風に思う人は勿論いるのだろうけど、僕自身としては、それこそが成長の過程に現れる現象だと思うのです。
不安定、焦燥、不安定。
自分でも理解しきれていないことを、他人が理解しようなんてそもそも無理がある。
だからそれを映像にしようとした時、これらの作品のように概して「分かりづらい」と評されるものになるのは致し方ない、というかむしろ必然なのではないかと思っています。
あとはそれを感じられるかどうか。
22歳になった今、高校生の頃と同じように、この映画に 感じる ことができる感性がまだあったことに安堵した僕です。
「うす暗い部屋の中で、いつもひざをかかえていた。
想い出すのはそのことだけ。テレビも観ずに、音楽も聴かずに」
(本編より)
(製作:日本/DVDにて鑑賞)
| 映画 ☆☆☆☆☆ | 02:55 | comments:2 | trackbacks:2 | TOP↑


やっぱりたいようとはどっか似てるのかなぁ。
あたしは映画とか全然見ないけど、これだけはジャケットの美しさにやられて高校生のときに見た。
衝撃
ってことばが一番ピンとくるのかなぁ。
すこし違う気もするけど。
ことばでは説明できない。そんなものを作ってしまう岩井さんはすごいよね。
バンプの歌詞を読んでいても同じようなことを感じることがあるけど。
リリイシュシュは映画としてはまだまだだと思うし、批評すべき点は結構ある。
それでもあたしにとってこの映画以上にやられたものってないんだよね。
| ちひろ | 2006/10/08 12:00 | URL |