2008.02.03 Sun
【随想】結婚式という謎の儀式がもたらす大きな感動の謎
今日、従兄弟の結婚式に行った。
結婚という名の元に、他人同士の男と女が一生束縛し合うことを認めるための契約を、わざわざ大勢の前でセレモニーとして披露する、謎のパーティー。
僕は今のところ結婚する予定はないし、結婚したいとも思わない。結婚式に興味をもったことはなかったし、そして結婚式に出席したこともなかった。結婚している親戚や友人は数多くいるが、結婚式を挙げた人がほとんどいなかったからだ。
結婚式を挙げたいという女性の気持ちはよく分かる。だが僕は結婚式に憧れなんてないし、面倒くさいだけだし、お金ばっかりかかるし、もし僕が結婚する日が来ても、出来れば式は身内だけのこじんまりしたものにしたいと思っていた。
結婚とはしょせん契約である。それも紙一枚の。
いかなる結婚であっても、全てが幸福に円満にいく結婚などないし、相手のための貞操を守りきれる新郎も新婦もいやしない。
付き合うことが別れの始まりだとすれば、結婚は裏切りの始まり。
と、そこまで言ってしまうと違うかもしれないけれど、限りなくそれに近いものがあると、僕は結婚に対してそう思っている。
結婚=最大の幸福、と言われることには非常に懐疑的に思う。それは僕自身が、「欲求不満の人妻たち! 〜世界でもっともヤレる人種は人妻〜」みたいなコーナーを作って人妻の実態をさんざん捻じ曲げて伝えている人間だからかもしれない。だけど、それだけではなく、本心でそう思っているところも実際ある。
「健ヤカナル時モ、病メル時モ…」
新婦はカタコトの日本語でふたりに誓いを交わさせる。
「本日はぁ、お日柄もよくぅ」
新郎の上司は紋切り型過ぎて逆に面白いの挨拶をする。
つうか本日のお日柄は良かったか? 北風ぴゅうぴゅうの完全なる曇りじゃねぇか。
賛美歌なんて歌ったことないし、アーメン、なんて言われたって僕としちゃキョトンなのだ。
* * * * *
ところが、である。泣くのである。もうホロホロと涙が零れてしまうのである。
チャペルで、叔母に手を引かれ入場する従兄弟の姿。
叔母が繋いだ手を、新郎に引継ぐ瞬間。
弟二人のエスコート。
手紙を読む友人。
ケツメイシの「幸せをありがとう」と「涙」。
祖母への花束。
叔母への手紙…
あぁ。なんだこれは。なんだこの感動は。
幼い頃からたくさん遊んできた従兄弟の姿、蘇る蘇る。
もう俺死ぬのかと思うほどの走馬灯が駆け巡る。
隣に座る叔母(新婦である従兄弟の母)は、片親でずっと彼女と弟二人を育てて来て、この瞬間一体どんな気持ちでいるのか僕には想像もつかない。
その弟ふたりは茶化すように笑いながら式を見守っていたが、終盤になるにつれ、そんな照れ隠しをする余裕もなくなったのか、目を泣き腫らしていた。
きっと、従兄弟の家族や、祖母はこう思っていただろう。
「あの子を宜しくお願いします」
「幸せにしてやってください」
そしていつの間にか、寸分違わず、僕もそう心で祈っていた。
* * * * *
「一生愛し続けることを誓いますか」と聞かれて「誓います」なんてはにかんで答えてみたり、たかがキスがそんな誓いの証だったり、いかにもなラブソングを熱唱する友人だったり、それはそれは空々しいことばかりをいかにも大義ぶって演出するのが結婚式だ。
そんな誓いが一体何の役に立つだろうかと思う。
そんな誓いを見せるための式に、なぜ大金を使う必要があるのか。
だが今日僕は思った。
この白々しくてまったくの赤の他人であれば薄ら寒いことこの上ないイベントが、二人の絆をさらに強固なものにするのだろうと。
両親への感謝の気持ちを言葉に表し、祝ってくれる友の多さを改めて実感する。このことこそが、他人同士という儚く脆い関係である二人が、お互いに必死で繋がり続けるための一歩目であり、このイベント自体が、一寸先の闇で相手を失わないための最初の努力なのかもしれない。
そして、この日の感動が、今後二人を繋ぎ止める大きな大きな鎖となるのだろう。
* * * * *
式のあと、結婚ていいな、と思った僕がいた。
でも相手がいない僕がいた。
そして相手がいてもきっとまだまだ結婚しないであろう僕もいた。
それから着飾った新婦の友人たちがキレイでなんとか知り合いになれないかと思案する僕もいた。
二人がこれからの人生で、少しでも幸せを感じていられますように。
アーメン。
結婚という名の元に、他人同士の男と女が一生束縛し合うことを認めるための契約を、わざわざ大勢の前でセレモニーとして披露する、謎のパーティー。
僕は今のところ結婚する予定はないし、結婚したいとも思わない。結婚式に興味をもったことはなかったし、そして結婚式に出席したこともなかった。結婚している親戚や友人は数多くいるが、結婚式を挙げた人がほとんどいなかったからだ。
結婚式を挙げたいという女性の気持ちはよく分かる。だが僕は結婚式に憧れなんてないし、面倒くさいだけだし、お金ばっかりかかるし、もし僕が結婚する日が来ても、出来れば式は身内だけのこじんまりしたものにしたいと思っていた。
結婚とはしょせん契約である。それも紙一枚の。
いかなる結婚であっても、全てが幸福に円満にいく結婚などないし、相手のための貞操を守りきれる新郎も新婦もいやしない。
付き合うことが別れの始まりだとすれば、結婚は裏切りの始まり。
と、そこまで言ってしまうと違うかもしれないけれど、限りなくそれに近いものがあると、僕は結婚に対してそう思っている。
結婚=最大の幸福、と言われることには非常に懐疑的に思う。それは僕自身が、「欲求不満の人妻たち! 〜世界でもっともヤレる人種は人妻〜」みたいなコーナーを作って人妻の実態をさんざん捻じ曲げて伝えている人間だからかもしれない。だけど、それだけではなく、本心でそう思っているところも実際ある。
「健ヤカナル時モ、病メル時モ…」
新婦はカタコトの日本語でふたりに誓いを交わさせる。
「本日はぁ、お日柄もよくぅ」
新郎の上司は紋切り型過ぎて逆に面白いの挨拶をする。
つうか本日のお日柄は良かったか? 北風ぴゅうぴゅうの完全なる曇りじゃねぇか。
賛美歌なんて歌ったことないし、アーメン、なんて言われたって僕としちゃキョトンなのだ。
* * * * *
ところが、である。泣くのである。もうホロホロと涙が零れてしまうのである。
チャペルで、叔母に手を引かれ入場する従兄弟の姿。
叔母が繋いだ手を、新郎に引継ぐ瞬間。
弟二人のエスコート。
手紙を読む友人。
ケツメイシの「幸せをありがとう」と「涙」。
祖母への花束。
叔母への手紙…
あぁ。なんだこれは。なんだこの感動は。
幼い頃からたくさん遊んできた従兄弟の姿、蘇る蘇る。
もう俺死ぬのかと思うほどの走馬灯が駆け巡る。
隣に座る叔母(新婦である従兄弟の母)は、片親でずっと彼女と弟二人を育てて来て、この瞬間一体どんな気持ちでいるのか僕には想像もつかない。
その弟ふたりは茶化すように笑いながら式を見守っていたが、終盤になるにつれ、そんな照れ隠しをする余裕もなくなったのか、目を泣き腫らしていた。
きっと、従兄弟の家族や、祖母はこう思っていただろう。
「あの子を宜しくお願いします」
「幸せにしてやってください」
そしていつの間にか、寸分違わず、僕もそう心で祈っていた。
* * * * *
「一生愛し続けることを誓いますか」と聞かれて「誓います」なんてはにかんで答えてみたり、たかがキスがそんな誓いの証だったり、いかにもなラブソングを熱唱する友人だったり、それはそれは空々しいことばかりをいかにも大義ぶって演出するのが結婚式だ。
そんな誓いが一体何の役に立つだろうかと思う。
そんな誓いを見せるための式に、なぜ大金を使う必要があるのか。
だが今日僕は思った。
この白々しくてまったくの赤の他人であれば薄ら寒いことこの上ないイベントが、二人の絆をさらに強固なものにするのだろうと。
両親への感謝の気持ちを言葉に表し、祝ってくれる友の多さを改めて実感する。このことこそが、他人同士という儚く脆い関係である二人が、お互いに必死で繋がり続けるための一歩目であり、このイベント自体が、一寸先の闇で相手を失わないための最初の努力なのかもしれない。
そして、この日の感動が、今後二人を繋ぎ止める大きな大きな鎖となるのだろう。
* * * * *
式のあと、結婚ていいな、と思った僕がいた。
でも相手がいない僕がいた。
そして相手がいてもきっとまだまだ結婚しないであろう僕もいた。
それから着飾った新婦の友人たちがキレイでなんとか知り合いになれないかと思案する僕もいた。
二人がこれからの人生で、少しでも幸せを感じていられますように。
アーメン。
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