たいようの映画の感想

映画を観て感動しても、少し時間が経てば結構忘れてしまうんです。そんな忘れんぼうな自分のための記録なんです。

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9/10 ジュウブンノキュウ (シネアミューズイースト)

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 "次代を担う実力派の若い才能たちが終結し、謎めいたダイアローグの魅力に満ちた、斬新なシュチュエーション・ミステリーを誕生させた。"

 公式サイトに書かれたこの文言通り、この映画は新しく立ち上げられた映画製作会社の第一回作品で、出演している役者さんは全員初めて見る顔、脚本を書いた人も監督も映画デビュー作だそうだ。
 しかしフライヤーや公式サイトを見る限り、そのセンスはすこぶる良く、かつてないほどに興味をそそられるものだった。それもそのはず、その制作会社を取り仕切っているのは広告業界で名のしれた方なのだそうだ。

 だが、宣伝が上手く行けば行くほど観に来る観客の内容への期待は高まる。宣伝と内容にギャップがあれば、当然その振れ幅は大きくなる。

 まず、これは映画を観る前から出演者のプロフィールを見て、ほぼ全員が舞台を中心として活躍している役者ということを知っていたから余計にそう感じただけかもしれないが、いかにも舞台調の芝居だった。
 もちろんそれが悪いというのではない。"会話劇"を謳うのであれば、舞台調の少し大袈裟なくらいの芝居の方がいいのかもしれない。
 だが、いかんせん、舞台だった。映画を観ているという気がまるでしなかった。
 
 脚本、ストーリーに感しては、確かに面白かった。退屈することなく(もともと80分という短い映画だが)観ることが出来た。
 語りたいことも良くわかるし、なかなか素敵なラストシーンで締めくくってもくれた。オープニングとエンディングでそれぞれ紹介されるプロフィールなども、斬新なアイディアだったと思う。

 だが、ちょっとした心理描写までも台詞に起こし、役者はそれを腹から出すしっかりとした良く通る声で読む。
 キャラクター設定は子供じみていてどう考えても25歳の人達には見えない。鑑賞後はあの現実味のないキャラクター設定も計算のうちだったのかもしれない、と気がついたが、映画の大半があんなに現実味のない人物たちの会話劇ではどうにもついていけない。

 つまり、ストーリーはそれなりに楽しめるし、脚本も魅力あるものだ。
 だが、芝居も演出も脚本も含めて、大味だ。

 観終わってから公式サイトを観て思ったのは、ダイアローグ(会話)の魅力に満ちた映画ではないし、全体を通して観ればさほど斬新でもないし、ましてシチュエーション・ミステリーでは全然ない、ということ。
 "あらゆる想像力を刺激する結末""すべてのシーンが結末へと集約されていく"とも謳われているが、想像するまでもなく結末はちゃんと提示されてしまっているし、そこに至るまでの伏線も分かり易すぎるではなかろうかと感じてしまった。
 出来ればそういう宣伝文句は「STAY/ステイ」とか「隠された記憶」のような映画につけてほしいものです。

 個人的には「会話劇」や「シチュエーション・ミステリー」という類の映画は好きだし、トレーラーやフライヤーがとてつもなくハイセンスだったから、否応なしに期待も高かった。
 そのせいか、上映中退屈だったわけでは決してないが、この映画のいちばんの魅力はフライヤーでも使われているウサギの写真かもしれない、と映画館を出た時に思ってしまいました(しかもウサギは本編ではほんの数回しか映らない)。

 しかしこれだけ格好いい宣伝が出来る会社なので、きっとこれからは本当に面白い映画を作ってくれるだろうと大いなる期待を抱いています。


(2005年/日本/東條政利監督)

| 映画 ☆☆ | 02:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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マッチポイント (銀座シネスイッチ)

[少しネタバレあります]

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 運が人生を決める。

 そんなの分かってる。ただそれだけのことを二時間かけて説明されたようで、これはいささか短絡的な感想に過ぎるのかもしれないが、僕はこの映画にどんな感想を抱けばよいのか分からなかった。

 映画としてはテンポも良く、展開もスリリングで飽きることはなかった。冒頭なんて素晴らしい掴みだったと思う。台詞は便宜的な会話程度に留め、その奥で繰り広げられるそれぞれの思惑を描こうとしているのかもしれないとも思った。
 だが、物語が主人公に都合よく転がりすぎではないだろうか。
 もちろんそれがこの映画のポイントである。だが、僕は途中から腹立たしくなって来てしまった。

 まだ実力がありながらプロテニスプレイヤーを引退し、偶然出会った富豪の娘と結婚し、飽き足らず義兄の婚約者と寝てしまう。
 共感はするし、理解できる行動だ。彼は男としての欲望に素直に生きているだけだ。
 だけど、あまりの都合の良さに腹が立つ。もしかしたら主人公と同じ男だからかもしれない。ちょっとずるいんじゃないのそれは、という風に。
 女の人はどう観たのだろう。「なにこの自分勝手な男〜」と、同じように腹を立ててしまった人が多かったのではないかと想像するのだけれど。

 彼は映画の中で全ての勝負に勝つ。決して負けない。
 冒頭のナレーションを引用するなら、「ツイているから、ネットの上で弾んだボールがことごとく相手のコートに落ちる」のである。
 そして最後までそれが続く。

 彼は運が良かった。

 表面上はただそれだけの映画だ。深読みすることはいくらでもできるけれど、僕が最初に抱いた感想はそれだけだ。

 では少し深読みしてみる。
 確かに彼はツイていた。決して負けなかった。
 だが、結果彼は本当に幸福になっただろうか?
 そうではないかもしれない。
 無関係に死んでいったものに対して「戦争でも関係のない人達がたくさん巻き添えになる」と開き直れてしまう彼は、自分の人生の成功を「運がよかったからだ」と認められていないのだ。
 幸運に恵まれてここに辿り着いたと認めることは、今後も不安定な運に左右されながら生きていくことを肯定することになる。運に恵まれすぎた彼は、不確実な要素の上になりたった幸福への不安と、罪の意識に苛まれながら生きるのだろう。 

 確かに彼はツイていた。人生における成功を手にした。
 だが、彼が成功したのは運のおかげだけではない。
 彼女の両親に気にいられるためにドストエフスキーを勉強し、興味のないオペラについても学んだのだろう。さまざまな積み重ねで、彼は両親に取り入ったのだ。
 そしてその対極にいるのがノラだ。
 ノラと主人公は似た境遇として描かれながら、結末は雲泥の差だ。そもそもは、ノラの失墜は両親に気に入られなかったことから始まる。それは運が悪かったからではない。
 こう考えてみると、もしかしたら監督は「運が重要なんだ」と表立っておいて「実は運よりも重要なものがある」というメタファーを汲んでいると考えることも、出来なくはない。


 どうロジカルに考えてみたところで、僕はこの映画があまり好きではなかったし、人生において運を掴むことが重要なのは変わりがない。人生なんてどんなに努力をしても偶然ひとつで如何様にも転んでしまうなんてことは、二時間かけて説明してくれなくてもちゃんと分かっているつもりだ。
 
 手前に落ちた指輪のプロットなど、単純で大衆的な物語を嫌う監督らしい回収の仕方だった。確かに多くの人の予想を裏切る結末だったかもしれない。だがもちろん、予想を裏切る結末を用意すればいいというわけでもない。
 決してつまらない映画ではなかったし、錯綜する人間模様はなかなかおもしろかった。にやりと笑えるシーンもあった。
 だけど、納得いかない。
 印象に残ったのはスカーレット・ヨハンソンの綺麗すぎるボディーラインだけだ。

 この作品は「ウディ・アレン史上最高傑作」と謳われ、ゴールデングローブで四部門、オスカーも脚本賞でノミネートされている。
 もしかしたらウディ・アレンて僕の肌に合わないのかも。


(2005年/イギリス・アメリカ・ルクセンブルグ/ウディ・アレン監督)

| 映画 ☆☆ | 23:05 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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ゲド戦記 (日劇PLEX)

[ネタバレあり]

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 この記事を書く段になって初めて気付いたが、ジブリ作品を劇場で観たのは初めてだった。
 そう、もともとジブリ作品にはあまり興味がない。だが一応「ハウル」以外は全部観たことがあるし、人並みに好んでもいる。絵の綺麗さや物語の奥深さは何度見ても感心する。
「ゲド戦記」は当初全く観る予定がなかったのだが、先月あたりからアップされ始めた試写会等での評判があまりにも悪く(Yahoo!ムービーの感想コメント欄なんて荒らされた掲示板のように☆1つが並んでいる)、俄然観たくなってしまった。こういう部分は酷く天邪鬼な僕です。

 原作は「指輪物語」や「ナルニア国物語」と並んで評されるほどの傑作ファンタジー。その三巻からあとの部分をオリジナルに脚本を作り直して映画化したもの。
 
 さて、さっそく結論。
 この映画は、勿論つまらないなんてことは決してない。広大な世界観を感じワクワクするし、伝えたいことも分かる。登場人物も格好いい。
 だが、これがあの「ジブリ作品」であるとなると、話はまったく別だ。ジブリが手がけた映画でなければ、絶賛されることはなくとも、ここまで酷評されることもなかっただろう。少なくとも100点満点で平均45点くらいは取れる映画だったはずだ。

 鑑賞中はさほど気にならなかったが、よく考えてみると分からないことだらけなのだ。
 どうしてアレンは父を刺し、あの剣を奪って来たのか。
 真(まこと)の名前ってなんなのか。
 アレンを追いかけてた影ってなんだったのか。
 あの剣の力とはなんだったのか。
 どうしてテルーは龍になったのか。
 そもそも竜ってなにものなのか。
 世界の均衡云々は結局どうなったのか。

 あらら。これだけ説明されず仕舞いのことがあれば、批判されるのも仕方がないかもしれない。原作の人気が高ければ尚更だ。
 例えばテナーがゲドとの過去を回想する場面はあの程度の描写でも充分で、あれだけでも物語に奥深みを加えられている。だが、物語の核に関わるものは、やはりちゃんとしたヒントなり説明を掲示してくれなければついていけない。
 結局のところ、原作の壮大な世界観を表現しようと詰め込みすぎて、あれもこれも中途半端、という状態に思えた。
 さらに残念なことに、今までのジブリの大きな魅力のひとつであったはずの背景美がまるで見あたらなかった。銭湯の壁に書かれた富士山のように、均一でべっとりとした油絵のようなタッチだった。それも原作の世界観を出すための手法だったらしいが、完全にマイナスであったように思う。カットやアングルも単調で面白味がなかった。
 
 恐らくメインテーマとしたであろう「いのち」に関してのことも、あそこまで何度もだらだらと伝えてくれなくてもよかった。言葉を変えて何度も「いのちは限られているけれど大切なんだ」と聞かされてもどうも胡散臭くなってしまう。
 その上「ナウシカ」から始まるジブリ作品の殆どに共通してきていた「人間の功罪」についてまでどストレートに「世界の均衡を崩したのは人間じゃないか」とか「人間の欲深さは底が知れないんだ」なんて終盤に、それもラスボスに語られたら、ジブリのファンにとってはどうしようもなく興ざめだったことだろう。 

 まだある。子供に向かないという点だ。
 魔法云々の話だしファンタジー的な雰囲気も満ちているのである程度の子供は楽しめるかもしれないが、ヒロインが竜になられてもどうだろうか。それに竜の映画のような宣伝をしているが竜は極少ししか登場しない。しかも死ぬ間際のクモはちょっとしたホラー映画だ。泣き出す子供がいてもおかしくないと本気で思う。(目が黒い穴になった顔は、「呪怨」だかなにかのホラー映画の予告編で観た記憶がある。)

 なんだか僕も批判ばかりになってしまったが、前述したように、僕は決して退屈はしなかったのです。初めから期待してなかった分、予想以上に入り込むことも出来たし、映画の質としては充分に「ジブリ作品」と言えるだけのクオリティーであったと思う。

 帰宅してから少しばかり原作の復習をしようと思い、ウィキペディア等で色々調べてみて感じたのは、僕は原作を読み始めたら恐らくどっぷりとはまってしまうだろう、ということ。第一巻なんて簡単なあらすじを読んだだけで面白い。若き日のゲドの過ちや苦悩から始まり、「自分との戦い」というテーマを敷き、ゲドの老年期までをあくまでゲド以外の人物を中心に据えて語るというのも新鮮だ。
 もともと僕はファンタジーは嫌いではなく、「ロード・オブ・ザ・リング」は最高に楽しかったし、スター・ウォーズは旧三部作と「エピソード3」しか観ていないのに感動した。だからこの映画もそこそこに楽しめたのだろう。

 原作の世界観を勉強してやっと真の名前の意味や、アレンの影の意味や、アレンがあの剣を抜いたことの意味が分かった。そのあたりの細部まで描けていたらと想像すると、非常に残念極まりない。
 だが原作がどんなに傑作であっても、それを二時間に満たない尺で表現しようというのに、そもそも無理があった。

 死から目を背けるというのは生からも目を背けること。
 死があるということは、終わりがあるということは、神からの授かりものなのだ。

 言いたいことは分かる。分かるがしかし。
 期待しすぎず、説明不足な部分は想像力を旺盛に働かせて観れば、充分に楽しめます。
  

(2006年/日本/宮崎吾郎監督)

| 映画 ☆☆ | 01:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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