たいようの映画の感想

映画を観て感動しても、少し時間が経てば結構忘れてしまうんです。そんな忘れんぼうな自分のための記録なんです。

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

ぐるりのこと。 (シネマライズ)

dl_img3[1]

 世の中はいつからこんなに混沌としてしまったのか。いつからこんなに殺伐としてしまったのか。
 人間関係はいつからこんなに希薄になったのか。
 いつから日本は、こんなにも歪んでしまったのか。

 前作『ハッシュ!』で世界的にも好評価を得た橋口亮輔監督が6年ものブランクを経た今作は、今の日本と日本人を掬いあげるような暖かい視点で描いた秀作だ。


  *  *  *  *  *


 法廷画家とその妻を物語の中心にすえ、裁判所の中の犯罪者たちと、この夫婦の変化が1990年から2000年までの10年の時間軸で描かれる。流産や家族関係をきっかけとして妻は精神を病むようになり、裁判所の中では猟奇的な犯罪を犯したものたちが裁かれていく。
 「家庭/夫婦」と「裁判所/社会」は最後まで交わることはない。主人公である法廷画家が、その間を往復するだけだ。
 
 物語の中の裁判に登場する人物たちは、どれも有名な、世間を震え上がらせた犯罪者たちだ。地下鉄サリン事件、池田小無差別殺傷事件の宅間守、文京区幼女(春奈ちゃん)殺害事件の山田みつ子、中でも有名なのが幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤。

 傍聴席で経を唱え始めるオウム真理教の信者たちや、「疲れたーもう帰りたいー」などと発言する宮崎勤など、彼ら裁判の様子は常人の目にしてみれば不可解そのものであった。その不気味さと平行して妻の変化が描かれ、「社会/夫婦」の状況のリンクが見て取れる。

 しかし妻は立ち直る。
 それは不器用だがいつでも穏やかに妻に寄り沿おうとした夫の優しさであり、温かみだった。

 こう書くと、「社会の歪みだって愛で解決できる」なんて暗喩するような能弁な映画かと思われるかもしれないが、そうではない。
 監督は社会の変遷と夫婦の関係性の悪化を平行して描きながらも、社会や猟奇的殺人犯の混沌を弾叫するわけではない。むしろそれらは夫婦のごく身近に隣接しているかのように、ちょうど並び合ったレールの上を伴走する列車のような関係性で描かれる。 そして夫婦の再生を華々しく賛美するわけでもない。

 最近では心に傷を負った主人公の再生の物語、なんて内容の映画が腐るほど作られているが、それらとも確実に異なるしっかりとした感慨を与えてくれる。
 それは、監督自身も経験したという欝を初めとした人間描写の繊細さと、決して上手いわけではないのに不思議な空気感で画面を包むリリー・フランキーの佇まいの所為だろう。


  *  *  *  *  *


 監督は今の日本に至るターニングポイントがバブルの崩壊であり、変化の象徴が宮崎勤(89年逮捕)であると雑誌のインタビュー(「広告批評」08年5月号/マドラ出版)にて語っている。
 奇しくも公開間もない6月17日に宮崎勤の死刑が執行された。これはもしかしたらまた、日本がひとつの時代を終え、再び変遷に向かうターニングポイントなのかもしれない。

 だけれども、社会が変り人間関係の様相が変ろうとも、そう容易く変らないものもある。 
 夫が繰り返した浮気が妻の精神を苦しめた原因のひとつとなったように、悪事はぐるりと回って自らの元にもどってくる。
 猟奇的な犯罪が平凡な家庭と著しく乖離しているわけでは決してなく、ぐるりと囲んだ同じ地平の上で起こる身近なできごとなのである。
 そして人と人とが関わり共に暮らすということの素晴らしさ、その礎はまだこんなにも暖かく残っている。
 この映画はそう、語りかけてくれているのだと思う。

 
(2008年/日本/橋口亮輔監督)

| 映画 ☆☆☆☆ | 04:28 | comments:5 | trackbacks:3 | TOP↑

≫ EDIT

気球クラブ、その後(DVD)

4988104042453.jpg

 感想として言葉にするのが非常に難しい映画だ。園子温監督は常にそういった傾向にあるが、例えば「夢の中へ」のような作品ならば、アヴァンギャルドで感覚的な映画であり、物語を語る類のものではないということが一目瞭然なため、「メチャクチャだが抜群に面白い」と言えばそれでおおよそ説明がつく。
 だがこの作品は違う。監督の非常にパーソナルな感覚の積み重ねの末に、若者の青春というような物語を繊細に紡ぎ出している。観終わると、胸には確かな感傷が残る。淡い切なさがどこからともなく沸き立ってくるのだ。

  *  *  *  *  *

 冒頭から登場人物たちは何やら仲間内で電話連絡を取り合い、「村上さん」なる人物が事故にあったことを伝え合う。さらにその彼女だった「美津子さん」なる人物の連絡先が知れないことや、「村上さん」がどうやら死んだらしいこと、そして「村上さんを偲ぶ会」を開こうという話へと転がっていく。

 だがそれぞれが口にするのは「いやぁ、5年も前の話だしね」とか「俺、村上さんとはそんな親しくなかったし」とか、そんな冷淡な台詞ばかりだ。
 ある青年が言う。「5年もあればみんな変るよ。5年ってそういうもんだよ」

 ここから展開し、5年前の日々の回想を挟みながら「村上さんを偲ぶ会」の様子が描かれる。徐々に明かされる「村上さん」や「美津子さん」、集った若者たちの思い。

 空高く上る気球。部屋いっぱいのバルーン。バルーンに釣られた手紙。黄色い気球BAR。ゴヤの「巨人」を摸した巨大気球構想。

 どこかファンタジックなそれらのエッセンスと共に、淡々と物語は紡がれ、なんとも言えぬ後味を残してあっという間に終幕を迎える。

 岩井俊二に似た独特で不思議な空気感に序盤から引き込まれ、みどりと美津子のシーンで幕を降ろすという見事な引き際に、鑑賞後はゆっくりとため息をついた。

 物語の核となる大切な部分は最後まで明かされない。
 なのに消化不良な気持ち悪さが残らないのが不思議だ。

  *  *  *  *  *

 ある青年が言った「5年もあれば変る」という台詞を想い出す。5年は確かに短くない時間だ。5年もあれば本当に様々なものが形を変え、過去の面影を一切残さぬまでに変化を遂げることも珍しくない。
 だが、5年経っても変らないものも、確かにある。

 空という夢を追い続けた青年と、空に浮かぶ彼が地上に戻るのを待ち続けたひとりの女と、それを取り巻いた無邪気な男女たちの5年がゆっくりと心に響き、清々しさが胸に沁みてくる。

 うまく言い表せない感覚だが、この心地よい感傷は他の映画ではなかなか感じることのできないものだ。「映像詩人」と呼ばれる園子温の真骨頂はアヴァンギャルドな作品ではなく、こういった独特の間と空気で構成されるドラマだったのだと思い知らされた。

 荒井由美の「翳りゆく部屋」をモチーフに描かれた物語とのことだが、この歌が、しばらくは頭から離れそうにない。

≪どんな運命が 愛を遠ざけたの
 輝きは戻らない 私が今死んでも≫


  *  *  *  *  *

 夢により遠ざけられた村上と美津子の愛。
 村上が死んだ今、二人の輝きはもう戻ることはないが、気球クラブの青年たちの間では、少なくとも二郎の心の中では、二人の愛は輝き続けるのだろうと思う。


(2006年/日本/園子温監督)

| 映画 ☆☆☆☆ | 04:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

酔いどれ詩人になる前に (銀座テアトル)

15d4b697.jpg

 書くことは俺にとって大切なことではなかった。
 必要なことだった。
 言葉を扱う自信がなくなった時は、他の作家の作品を読んでまだ大丈夫だと思い直した。



 アメリカの伝説的作家、チャールズ・ブコウスキーが自らの若き頃を自伝的に描いた小説を原作とした作品。自伝的作品であるから、主人公はブコウスキー同様小説家を志し、ブコウスキー同様にどうしようもない飲んだくれのクソッタレ男だ。

 仕事をさぼってクビになり、朝から飲んだくれ、セックスし、職を探す。ようやく見つかった職もすぐにクビになり、またふらふらしながら酒を飲んではセックスする。
 女の家に転がり込み、ギャンブルで小金を稼いでは散財し、またふらふらと街を彷徨う。
 
 どっからどう観てもろくでないしのダメ男だ。
 だが女も仕事も金も手に入れてはすぐに失い続けた彼が、唯一持ち続けたものがあった。
 それは、言葉と酒。

 どんなことが起こっても、決して揺れることのなかった書くことへの執念。
 優しさや思慮深さや大らかさや、そのほかにも多くのものが欠けた人間だったとしても、その一点の揺るぎない信念だけで、彼はどん底で生き続けた。

 孤独より、貧困より、恐らく彼は書けないことが恐ろしかったのだろう。
 だからこそ彼は、書きたいものが書けさえすれば、他に怖い物などなにもなかったのだろう。

 そんな彼の姿はやはりろくでなしのクソッタレ男のはずなのに、惚れぼれするほど格好いい。

 劇中語られた「don't try.DO!」という言葉。
「挑戦するな、勝て!」と訳されていた。
 この「don't try」という言葉は、彼の墓石に刻まれている言葉でもあるという。

 彼にとっては挑戦なんてなんの意味も持っていなかったのだろう。
 全ては勝つか負けるか。
 信じ続けるか、諦めるか。

 
 物語は淡々として退屈な感もあるが、主人公の孤独さと無骨さをうまく表していたと思う。なによりも、マット・ディロンがはまっていた。「クラッシュ」で一躍名を挙げた彼だが、この映画もまた彼なしでは成り立たないと思わせるような芝居だった。ふらふらと焦点が定まらずに彷徨う視線の感じが、まさに「売れない物書き」のそれだったと感じた。

 ブコウスキーという人間を知るにも、主人公チナスキーの物語としても物足りない気がするが、観終わったあとは多くの言葉が胸に残った。そしてブコウスキー自身が詞を書いた「slow day」がゆっくりと沁みた。


(2005年/アメリカ・ノルウェー/ベン・ハーメル監督)

| 映画 ☆☆☆☆ | 02:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT