2008.06.26 Thu
ぐるりのこと。 (シネマライズ)
![dl_img3[1]](http://blog-imgs-23.fc2.com/t/a/i/taiyo613/20080626025223s.jpg)
世の中はいつからこんなに混沌としてしまったのか。いつからこんなに殺伐としてしまったのか。
人間関係はいつからこんなに希薄になったのか。
いつから日本は、こんなにも歪んでしまったのか。
前作『ハッシュ!』で世界的にも好評価を得た橋口亮輔監督が6年ものブランクを経た今作は、今の日本と日本人を掬いあげるような暖かい視点で描いた秀作だ。
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法廷画家とその妻を物語の中心にすえ、裁判所の中の犯罪者たちと、この夫婦の変化が1990年から2000年までの10年の時間軸で描かれる。流産や家族関係をきっかけとして妻は精神を病むようになり、裁判所の中では猟奇的な犯罪を犯したものたちが裁かれていく。
「家庭/夫婦」と「裁判所/社会」は最後まで交わることはない。主人公である法廷画家が、その間を往復するだけだ。
物語の中の裁判に登場する人物たちは、どれも有名な、世間を震え上がらせた犯罪者たちだ。地下鉄サリン事件、池田小無差別殺傷事件の宅間守、文京区幼女(春奈ちゃん)殺害事件の山田みつ子、中でも有名なのが幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤。
傍聴席で経を唱え始めるオウム真理教の信者たちや、「疲れたーもう帰りたいー」などと発言する宮崎勤など、彼ら裁判の様子は常人の目にしてみれば不可解そのものであった。その不気味さと平行して妻の変化が描かれ、「社会/夫婦」の状況のリンクが見て取れる。
しかし妻は立ち直る。
それは不器用だがいつでも穏やかに妻に寄り沿おうとした夫の優しさであり、温かみだった。
こう書くと、「社会の歪みだって愛で解決できる」なんて暗喩するような能弁な映画かと思われるかもしれないが、そうではない。
監督は社会の変遷と夫婦の関係性の悪化を平行して描きながらも、社会や猟奇的殺人犯の混沌を弾叫するわけではない。むしろそれらは夫婦のごく身近に隣接しているかのように、ちょうど並び合ったレールの上を伴走する列車のような関係性で描かれる。 そして夫婦の再生を華々しく賛美するわけでもない。
最近では心に傷を負った主人公の再生の物語、なんて内容の映画が腐るほど作られているが、それらとも確実に異なるしっかりとした感慨を与えてくれる。
それは、監督自身も経験したという欝を初めとした人間描写の繊細さと、決して上手いわけではないのに不思議な空気感で画面を包むリリー・フランキーの佇まいの所為だろう。
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監督は今の日本に至るターニングポイントがバブルの崩壊であり、変化の象徴が宮崎勤(89年逮捕)であると雑誌のインタビュー(「広告批評」08年5月号/マドラ出版)にて語っている。
奇しくも公開間もない6月17日に宮崎勤の死刑が執行された。これはもしかしたらまた、日本がひとつの時代を終え、再び変遷に向かうターニングポイントなのかもしれない。
だけれども、社会が変り人間関係の様相が変ろうとも、そう容易く変らないものもある。
夫が繰り返した浮気が妻の精神を苦しめた原因のひとつとなったように、悪事はぐるりと回って自らの元にもどってくる。
猟奇的な犯罪が平凡な家庭と著しく乖離しているわけでは決してなく、ぐるりと囲んだ同じ地平の上で起こる身近なできごとなのである。
そして人と人とが関わり共に暮らすということの素晴らしさ、その礎はまだこんなにも暖かく残っている。
この映画はそう、語りかけてくれているのだと思う。
(2008年/日本/橋口亮輔監督)
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